内田研二「成果主義と人事評価」(講談社現代新書)


表紙

 年功序列と終身雇用という旧来の日本的雇用制度が崩れ…といった文章はもう何度も目にされているだろう。年功序列による賃金体系からその人の成果、実力に応じた賃金体系への変化が求められている。ワタシのような若手に属する社員も実力主義の流れを概ね歓迎するし、基本的には好ましいものに思えるこの「成果主義」がうまく運用されない理由について、現役の人事課長が分かりやすく解説した本である。成果主義への転換という方針は決まれども、実際の運用段階ではそれがマイルドに修正されてしまう過程が段階的に丁寧に書かれており、これまで一会社員として疑問と不満を抱きながらもその実良く分かってなかった人事制度の運用、人事労務者の思考過程について学ぶことができた。

 本書に書かれるように、成果主義の本来の目的は、社員のやる気を出させて会社の業績を上げることである。しかし現実にはそれがうまく機能していない。社員のやる気にも会社の業績にもつながっていないわけだ。

 その原因として、成果主義に対する経営者側の甘えが挙げられている。市場からの要請もあり、リストラの方向に傾斜せざるを得ない経営者は、成果主義を単なる減点評価のための手段、もっとひどい場合は社員に対する脅しにしてしまう。業績の下方修正の責任を問われ、「くだらない質問だ。従業員が働かないからいけない。毎年、事業計画を立て、その通りやりますといって、やらないからおかしなことになる。計画を達成できなければビジネス・ユニットのトップを代えれば良い。それが成果主義というものだ。」と言い放った富士通株式会社の秋草直之社長の発言(「週刊 東洋経済」2001年10月13日号)は、そうした経営者側の意識をよくあらわしている(それにしても、何度読んでも腹が立つ言い草だよな)。本書の文章を引用するならば、「社員の自立を強調する経営者は、自立した社員に依存したいのだ」ということか。


 それでは成果主義は、一般社員にとってやる気へのインセティブにつながらず、不安を煽るだけになる。それは成果を出せない社員だけではなく、高い成果をあげた社員にも、継続して成果をあげようという気を失わせる逆説的な結果になったりもする。そうして語られる「成果主義に開き直る社員たち」という話は、今まで不必要に頑張っていた負け組が競争から降りるという点において、稲葉振一郎の「ニッポン社会の不平等化を考える──「勝ち逃げ」目指すヘタレ「中流」の行方は・・」にも通じるものだろう。

 また本書では、成果主義が導入される過渡期において社員が感じる「不安」と「価値」のあり方について解説しているわけだが、個人的にはそこで語られるストーリーが少し俗過ぎる感じもした。が、現実に当てはめてみるとワタシが属する会社組織においてもここで語られる話はビシバシあたっていたりする。となると、実際は案外この程度ということか。「私たちは知らず知らずのうちに自分の都合のいいように働くスタイルを変えている。そして、その動機に自分でも気づかないために、自分のしていることに確信がもてなくなる」という文章は身につまされる…。


 しかし、である。年功序列から成果主義への変化というのはもはや避けられないし、避けるべきでもない(もう一方の「終身雇用」についてはまだ僕自身考えが揺れている)。それ自体が否定されるようではいけない。現在それがうまく回っていないとして、それならどうすれば良いのか。著者による提言は奇を衒ったものではなく、成果主義が効果を発揮するような環境整備、適切な規模の組織作りを同時にやりましょうということだ。人材を消費する企業でなく、人材に投資する企業であれというわけ。

 これだけだと何だそんなことかと思われるかもしれないが、前述の通り段階的に丁寧に論を積み重ねてきているので説得力があるし、成功体験を自慢したいだけの経営者や口先だけのコンサルタントなどが書く煽り、脅し主体の本(ポール・クルーグマンなら「空港式」というのかも)ではなく、実際に人事労務に携わる人間が網羅的に書いたというだけでもワタシのような一介の会社員にとって有益な書籍といえる。

 つまり、闇雲に人事にぶーたれるだけでなく、彼らの仕事と苦労を理解した上でぶーたれたほうが双方ハッピーということだ(そうなのか?)。


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初出公開: 2002年07月08日、 最終更新日: 2002年07月08日
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