復活の事情


 ワタシが本格的に洋楽を聴き、のめりこむこととなった80年代後半に20台後半〜30台前半、つまりロックミュージシャンとしての最盛期を迎え、現在は40台の人たちの「復活作」が、今年いくつかリリースされた。

 しかし、それらがそのまま彼らの全盛期を髣髴とさせてくれるかといえば、全部がそうとは言えんわね、というところである。以前ならそれだけで切り捨てたかもしれないが、今は「まあ、こういうのもアリかな」と煮え切らなくも容認できるようになった。

 中年の成熟と老醜の間に揺れる、と書くと大げさだが、そんな彼らを見て、30台を迎え中年前期に入った者として、いろいろ事情が分かるところが増えてきたからだろうか。ぬるいと言われそうだが、歳を取るのは間違いなく悲惨なことだけど、歳を取ったから見えてくるものも確かにあるのだ。イヤな書き方だが。


『Musicology』ジャケット

 しかし、プリンスの『Musicology』、ワタシはこれがやたらと賞賛される理由が分からん。いろいろ楽しみどころがあるのは確かだが、そんなのプリンスのアルバムなら当たり前じゃないか。皆こんなんで満足なの? 低迷期と言われた90年代にこれがいきなり発表されたとして、今と同じ賛辞を得たか非常に疑問である。口さがない人は、「手癖だけで構成されたアルバム」とでも評したのではないだろうか。

 それにしても、アルバムの評価というのは、そのときどきの流れ、雰囲気が重要であることを痛感させられる。プリンスが偉大だというのは分かりきった話なのだけど、ここ数年の、特にアメリカにおけるプリンス再評価の流れがあってこその本作の商業的な成功なのだろう。プリンス当人の不健康な佇まい(笑)はあまり変わってないことと、現在のアメリカの文化的潮流というか方向性と付き合わせると、その再評価の機運は、個人的に不思議な感じもする。もちろんそれ自体に文句はまったくない。

 けなしてばかりみたいだが、(リアルタイムではなかったが)『Parade』を聴き、「こんな変態的な音がポップミュージックと流通するのか!」と衝撃を受け、80年代ほぼ一手に音楽的イノベーションを引き受けていた頃のアルバムを聴き狂った人間としては、どうしてもこの人に対する期待値が未だに異常に高くなってしまうのである。


『you are the Quarry』ジャケット

 次にモリッシー7年ぶりの『you are the Quarry』だが、彼のスミス時代の捻じ曲がった詞に人生観を決定付けられた人間として、全力で応援したくなるアルバムである。今回は、ジャケットからして本人のやる気が伝わってくるのが嬉しい。

 でも、本作を「最高作」とか形容はできんわね。この点、ニューオーダーの『Get Ready』に近い感触がある。つまり、長年のファンとしては、「復活作にして最高傑作!」と煽りたくて仕方がないが、そこまではないという意味で。

 プロモーションの一環で BBC1 に出た際に、ジョナサン・ロスと交わしたやり取りがその辺りを図らずも明らかにしている。

ジョナサン:「ニュー・アルバムは本当に素晴らしかった。最高だ、本当に。僕は泣きそうになった」
モリッシー:「どうして泣かなかったんだい」
ジョナサン:「そこまでは良くなかったから」


 このアルバムについて、モリッシーバンドのアラン・ホワイトは、『Your Arsenal』と『Vauxhall And I』の中間のテイストと語っているが、正にそんな感じで、逆に言えばこれまでのモリッシー観を一新するような変化はないということである。個人的には、それなら『Vauxhall And I』と『Southpaw Grammer』の中間だったら最高だったのに、と思うわけである。話が少し逸れるが、『Southpaw Grammer』の世評が芳しくないのが当方には理解できない。以前にも書いたが、これこそ彼の最高作だと思うのだが。

 さて、それでもワタシが本作を好ましく思うのは、モリッシーの声が若々しさを取り戻しているところ。"First Of The Gang To Die" など、かつての "Interesting Drug" を想起してしまった。

 逆に不満なのは歌詞で、ちょっと直接的過ぎるというか、強すぎるというか、言葉の選び方にかつての微妙なニュアンスが欠けている。それでも "I Like You" の歌詞を読むと何ともいえない気持ちになるのだが。

 何よりファンとしては彼がやる気を取り戻してくれたことが嬉しいわけだが、フジロックへの出演がキャンセルになったのは残念でならない。前にサマーソニックに出演したことはあったが、今回こそが若いオーディエンスに対してその勇姿を誇示する機会になったはずだから。


『The Cure』ジャケット

 そして最後は、キュアーの4年ぶりの新譜、その名も『The Cure』である。

 キュアーというと、ワタシがリアルタイムで聴き始めた『Disintegration』の頃から、アルバム出す毎に解散宣言が出るバンドであり、今後の予定を聞かれるたびに「サイト閉鎖」と断言しながらも惰性と未練で続けている小生としては、ロバート・スミスが他人に思えない(笑)。

 しかし、前作で今度こそキュアーは終わるかもと思っていたし、またワタシ自身彼らに以前のような興味をもてなくなっていたのは確かだ。

 その原因は、前作『Bloodflowers』である。このアルバムは、彼らの代表作とされる『Pornography』と『Disintegration』を強く意識して制作されたものであり、実際それら過去の名盤と並べても遜色ない出来にはなっている(というか、キュアーのアルバムに、質の低いものはほぼ一つもない)。

 けれども、ロバスミがこだわる「キュアーらしさ」が、アルバムを余り面白くないものにしているようにワタシには思えたのだ。確かにキュアーの音にはダークでヘヴィーなところが多分にあるが、それだけじゃなかったからこそ、ここまでヘンなバンドがポピュラリティを獲得したんじゃないか。具体的に言えば、荒唐無稽なまでの歌詞世界や摩訶不思議なポップさが欠けていた。例えば、『Disintegration』にしたって、クモ男に食われる恐怖(笑)についての曲があるんだぜ。


 だから、キュアーのニューアルバムが出ると分かっても、以前のようには喜べなかったし、プロデューサーが KORN やスリップノットといったヘヴィーロック系を多く手がけているロス・ロビンソンだと聞いても、上に書いた流れで期待値は上がらなかった。

 で、実際聴いてみて、一曲目が前作に入っていてもおかしくない重めの曲だったので、(曲のクオリティそのものとは関係なしに)また今作もあの感じかと少し身構えたのだが、アルバムを聴き通すと、久方ぶりの充実感を覚えた。

 ロバスミのインタビューを読むと、やはりロス・ロビンソンがキーマンだったようである。本作の激しさ、重さはいかにも彼らしい音の引き出し方と言えるが、同時に彼が「ポップなキュアー」のファンであったのが幸いしているようだ。モリッシーの新作のプロデューサーであるジェリー・フィンもそうだが、90年代アメリカの音楽シーンを代表する仕事をしたプロデューサーが、揃ってイギリスのニューウェーブの代表選手の復活作を手がけているのは興味深い。誰かそこらへんの事情について分析してそうだが。

 閑話休題。ワタシがはじめて聴いた『Disintegration』が彼らの最高傑作だったのは、幸運といえるだろうか。当時ワタシは高校生で、内実を持った音をちゃんと理解できるようになっていたし、このアルバムに収録されているいくつかの至高のラブソングは、多感な少年が求めてやまないものだった。ワタシは本当にこのアルバムにのめりこんだのだ。

 あの頃のようには、彼らの音を切実に聴くことは、今のワタシにはもはやできない。しかし、結成四半世紀にしてバンド名を冠したアルバムを聴き、かつての、アルバムの音世界に浸り、じっくりと向かい合う感覚を、およそ十年ぶりに思い出せたようだ。今はそのことを何より嬉しく思う。


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初出公開: 2004年07月20日、 最終更新日: 2004年07月20日
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