YAMADAS Project


 先日岩本一樹さんからメールをいただいた。岩本さんからは時折鋭い指摘をいただくのでメールをもらえるのが楽しみなのだが、今回も一読して唸った。

 僕が書いた Google についての文章の中で、Google の読み方について書いていることに触れ、それなら YAMDAS Project の YAMDAS は何と読むんだ? という疑問を書かれていた。

 岩本さんから指摘されてはじめて気付いたのだが、これについてはどこにもちゃんとしたことを書いてなかった。

 その理由は看板名である「YAMDAS」の由来に依っている。要は、それが非常に行き当たりばったりで付けられた名称であるため、ウェブマスターである当方も、その読み方はこうだぞ、と偉そうに書く気になれなかったのである。

 これまでも「YAMDAS FAQ」のような文章を書こうとしたことが過去何度かあったのだが、それは半ば冗談の、ネタのような問答集を想定していた。岩本さんからのメールに返信を書くうちに、僕はウェブページを立ち上げた頃を思い出していた。


 「どうしてウェブサイトを運用しようと思ったのか」といったことをたまに聞かれるが、この手の質問には「Internet Week '98 で Richard Stallman と握手をしたとき神の啓示を受けた」と答えることにしている。これは半分冗談であり半分は本当の話なのだが、実際にはその少し前からページを立ち上げることを考えていて、友人に共同でウェブページをやってみないかと持ちかけた記憶がある。そのとき彼が乗り気だったら、現在の YAMDAS Project はなかっただろう。

 前述の問いは、上のような回答は想定しておらず、ウェブサイトを運用しようと思った動機を問うているのだろうが、そちらの方はやはり「表現欲求」というクソ面白くもないところに収まると思う。だが、WWW というものにはじめて触れたのは 1994 年、大学三年生のときだったのに、自分でやろうと思ったのはそれから大分経った後だったのは、ちょうどそのすこし前に稲葉振一郎黒木玄森山和道山形浩生山根信二(五十音順、順不同)といった、確固とした核を持ちながらも、幅広く優れた仕事をしている人達のページに触れ、ひどく刺激を受けたことがある。あれが僕にとってのウェブとの二度目のブレークスルー体験だった。それらをシャワーのように浴びるように読むうちに、自分でも何かできるのではというよく分からない勘違いをしてしまったのだ。すべてはそこからはじまった。


 ただ自分のサイトは、上に挙げた方々とはまったく異なり、雑文系のサイトを想定していた。それは yomoyomo という筆者のハンドル名のチョイスからも察していただけると思う。このハンドル自体「やゆよ記念財団」由来するのだし。

 自分の本職がプログラマーであり、「がんばれ!!ゲイツ君」「闘わないプログラマ」といったサイトが大好きだったので、技術雑文も書きたいとは強く思っていたが、それが現在のように中心に来ることは想定してなかった。二年前のうちのサイトを知る読者はいないだろうから書いておくが、ディレクトリ構成を見ても分かる通り、Technical Knockout は当初コラム・ライブラリの1コーナーだった。

 ここまで書いてきた通り、自分のサイト立ち上げは行き当たりばったりなところもあったが、同時にやるからにはそれなりのものにしたいという意志はあった。ただ自分の力に確信が持てなかったので、友人を引き込もうとした。サイト開設当初、サイト作成者に友人の海坊主の名前を連ねたのはそのためで、彼と YAMDAS 立ち上げ前に一度誘ったベンジャミンをあわせ、サンフレッチェ構想(笑)を持っていた。YAMDAS 対談を除けば、それは未だ実現していないが、実は今でも当サイトを僕の個人サイトと考えたくない気持ちがある。


 そうした背景があっての YAMDAS Project という名称なのだ。早い話、「松永泰志(仮名)のホームページ」だとか「yomoyomo のお部屋」といったいかにも個人サイトですというような名前にしたくなかったのだ(当時からウェブ日記は絶対やらないつもりだったので、「○○日記」というのもありえない)。何か架空の団体名のような、一見個人サイトにみえない意味ありげなものにしたかったのだ。

 RMS と握手した瞬間神の啓示を聞いたので(まだ言うか)、○○ Project にしようとまず決まった。そして、

  1. アルファベット4〜6字
  2. 発音しやすく(覚えやすく)
  3. 既存の団体・ウェブサイトとバッティングしない

 という条件を付けていろいろと考えてみた…が、そううまいものが見つかるものではない。結局非常に安易なやりかたで YAMDAS という文字列を導き出した。その由来を知るのは、岩本さんを除けば、ウェブマスターとして実際にお会いしたことのある mayo さんと office さんのお二方だけなのだが、二人ともそれを言うと呆れたような表情をされていたので、やはりここにも書かないことにする(笑)。


 ここでようやく冒頭の岩本さんの疑問にお答えするわけだが、僕自身は「ヤムダス」と発音している。しかし、大層な由来があるわけでもないのはこれまで書いてきた通りである。どう読んでもらっても構わない。

 そして実際当方の意図と異なり、「ヤマダス」と発音している人が多いようなのである。これはうちのサイトを「YAMADAS Project」と誤記されているページが、当方が知るだけで20以上(!)あることから想像できる。ひとびんさんが書くように、山田さんがウェブマスターだと思っている人も多いのではないだろうか。岩本さんは、僕のことをはじめ「山田ヨモオ」だと思っていたそうであるが、そりゃないぜ(笑)。

 しかし、YAMADAS と間違われても、僕は別に何とも思わない。何度も書くようにこの名称に付随する固有の属性があるわけでないし。

 僕は以前生越昌己さんのことを文中で誤って「昌巳」と書いてしまい、それをご本人に指摘され、意味なくパソコンの前で土下座した経験があるのだが、それとは違うのだ(生越さんも、「うちの親ですら間違うから」と気にされてなかったが)。あ、同じ間違いをしているからって、怪文書を流した犯人は僕ではありませんので(当たり前だって)。

 あとこれは先に挙げた「既存の団体・ウェブサイトとバッティングしない」という点を裏返すと、ネイティブの人達にしても、YAMDAS という文字列に正しい読みがないのかもしれない。


 どう書かれようが、ちゃんとリンクさえしていただければ、うちのサイトに繋がるのだ。だからこそ WWW は素晴らしいのだし、そのリンクに支えられてうちのサイトはここまで来たのである。立ち上げ当初は、一日のアクセス数が30ぐらいで、その半分近くは自分自身によるものだった。「しまった、どうしてカウンタを3000ぐらいからはじめなかったんだ」と友人に嘆いたものである。ウェブマスターが怠惰だったため、いくつかの検索サイトへの登録などごく初歩的なところを除けば、宣伝らしい宣伝をしなかったサイトにしては、現状は上出来だと思う。

 もちろんそれは僕が偉いのではなく、うちのサイトにリンクをはって下さった方々のおかげである。うちのサイトにある文章がそれに値するかは分からないのだが、もしそうならそれはその文章自体が独立して価値を持っているのであり、もはや筆者のものですらない。敢えて言うなら、それを読んでくださる読者のものだ。但し、その価値のない文章はどうかというと、これは間違いなく筆者のものになる。つまり、筆者はその負債を負わなくてはならない。これはサイト全体について言えることである。


 実を言うと、当初この文章は、まったく別の内容になるはずだった。もっとはっきり書くと、YAMDAS Project の終わりについての文章になるはずだった。そのことを更新履歴に書いたところ、ベンジャミンなどは「ネット活動撤退なんて言わずに YAMDAS を存続させなさい」といった内容のメールを早速送りつけてきやがったのだが、誰がそんなこと書いたね、まったく。終わりについて書くことと、実際に終わることは別だろうに。確かに、終わることを考えているからこそそうした文章を書くのは間違いないのだが。

 そして、それを書こうとするうちに、自分がウェブサイトを始めた頃のことを思い出し、今回のような文章にちゃんとまとめておくのも悪くないと思った次第である。そうした回顧的な文章を書くぐらい続いたサイトということである。それは少しは評価してもよいだろう。

 だからこそ、今回の文章は、うちのサイト名を堂々タイトルにさせてもらった


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初出公開: 2001年04月02日、 最終更新日: 2001年07月24日
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