Words Escape Me!


 今週末、深夜のテレビ放映を録画しておいた「誘う女」(ガス・ヴァン・サント監督)を観た。これは以前から観たかった映画で、主演を張ったニコール・キッドマンの出世作になったのも納得の好作だった。

 以前から観たかったのだからレンタル屋で借りればよかったのだが、どうもタイトルが「誘う女」でビデオのジャケットが下着姿のニコール・キッドマンだとどうもただのエロサスペンスのようで、無意識的に借りるのを避けていたようだ。

 いい年した男が何言ってんだかという感じだが、エロを目的にしないのに、そう勘ぐられるのはイヤなのよ。言っておくが、僕はかなり自意識過剰な人間だ(それの薄い人間がウェブに文章公開するか?)。変なところで見栄を張ったりこだわったりして後で後悔したりしながら悲しい生活を送っているということですね。

 しかし、「誘う女」という邦題はいかがなものか(原題は "To Die For")。内容からして違和感があるというのでもないが、何か安っぽい。勿論「誘う女」は上品な芸術映画なんかではないが、ガス・ヴァン・サントの演出もうまいし、毒の効いた脚本もよいし、もちろんニコール・キッドマンの悪女ぶりも見事だ。ただのエロサスペンスじゃあないんだけどなぁ…


 この間週刊誌で、「近頃じゃ英語表記そのままばかりで、気の利いた映画の邦題がない」と嘆く記事を見かけた。確かに今年に入ってから「シックス・デイ」「13デイズ」と紛らわしいタイトルの映画が同時期に公開されたため、尚更その印象があった。これについては中村正三郎さんのページでも話題になっていたが、タチの悪いのは、正確な原題のカタカナ表記でなく、変にアレンジされたカタカナ表記の邦題になっているものがあることである。品詞を省略するのは仕方ないとしても、目的語がなくなったりして、意味が別のものになったりするのは困ったものだ。

 …と書くと、僕が前述の記事に同調しているようだが、実はそうではない。

 僕はビデオをレンタルする場合、絶対に日本語吹き替え版でなく字幕スーパー版を借りる人である。題名もそれと同じという論理はいくらなんでも乱暴だが、下手な邦題ならつけるなよ、カタカナの羅列で多いに結構、というのが基本的な姿勢である。「恋に落ちたシェイクスピア」のような原題の素直な日本語化、そうでなくても「メリーに首ったけ」ぐらいの常套句を使ったものぐらいで十分だ。

 大体最近では気の利いた邦題どころか、聞いて脱力するようなものすらあるじゃないの。その典型がダニー・ボイルの「普通じゃない」あたりか。確かに普通の邦題じゃないな。原題は "A Life Less Ordinary" だからまあ無難な日本語化とも言えるが、受ける印象はあまりにもマヌケだ。もっとヒネリようがあったはずだ。あの映画が日本であたらなかったのは題名も一因だろう。「普通じゃない」の前作にあたり、ダニー・ボイルの名前を一躍世界的に有名にした「トレインスポッティング」の邦題が「電車ヲタク」だったら、と想像していただければお察しいただけるだろうか。


 また邦題に似た感じの名前がついて、原題がまったく想像できないというのも後からすると困ったものなのだ。

 先日友人と映画の話をしていて、具体的にはケビン・スペイシーのことだったのだが、彼はアカデミー賞において、主演男優賞と助演男優賞の両方を獲るという快挙を成し遂げた俳優なのである。他にこれをやったのはロバート・デ・ニーロ、ジーン・ハックマン、そしてジャック・ニコルソンの三人だけである。ちなみに女優ではメリル・ストリープだけだったと思う(この文章は意図的に資料にあたらずに書いているので大嘘かもしれない。気付いた方はメールで教えてください。こっそり直しますので(笑))。

 そこまですらすらと淀みなく言ったはよかったが、友人からジャック・ニコルソンは何で助演男優賞を獲ったのか、と突っ込まれた。確かに彼は残り三人と違ってあまり脇役はやらんし。

 僕は答えに詰まった。「ほら、愛と何とかの何とか」
「何だよ、何とかの何とか、って」と容赦なく追求される。それもそうだ。
「愛と何とかの何とか……そうだよ、愛と鴨鍋の加勢大周!」と意味不明に押しきったが、観てないくせに薀蓄なぞ垂れるものではないという良い見本である。


 上の会話で思い出したのだが、勝手に名前をでっち上げるというゲームがある。これまで書いてきた映画の邦題でそれで存分に楽しませてくれる「勝手邦題」というサイトがあるが、前述の「愛と鴨鍋の加勢大周」(だから何だよそれ)は、かつてナンシー関が書いていた、「東海大の後に勝手に地名をくっつける」のに近いかも。東海大南千住とか野球弱そうだぞ、とか。

 さてここで、言語ゲームというところからウィトゲンシュタインあたりを引っ張り出して少しはカッコつけたいのだが、彼の「言語ゲーム」はそうしたものではなかったはずだ。ましてやソシュールやチョムスキーなんか引っ張り出そうものなら、一気に馬脚をあらわすことになる。無学なワタシはソシュールもチョムスキーも読んだこともない。大体何なんだよ、ソシュールって。それ食えるのか? 知らんくせにとやかく書くものではない。前述のウィトゲンシュタインも書いている。

語りえぬものについては沈黙しなければいけない(「論理哲学論考」より)

 おっ、ちょっとインテリっぽいですな。しかーし、ここにもワナがある。うっかりダマされそうだが、上の文章は一般的な知識の不足について書いた文章じゃないらしいのね。このようにウィトゲンシュタインの名前や文章だけ使って悦に入ってる人を見かけたらこっそり笑っておきましょう。


 ところでジャック・ニコルソンが助演男優賞獲った映画って「愛と何の何」だったのだろう。今となってはどうでもいいのだけど。


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初出公開: 2001年02月05日、 最終更新日: 2001年07月01日
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