Hacking the City

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by Greg Knauss

Jamie Zawinskiはバンドに聞き入っていた。

1999年エイプリルフールの日の夜更け、彼は、混み合うサンフランシスコのナイトクラブのフロアに立って、バカでかい唸るような音楽に身をゆだねていた。彼は若くて - まだ29歳だった - 、長髪で、そして失業者だった。彼はまた、ものすごい金持ちでもあった。ノイズに逆らって彼に叫びかけ「次は何をやるつもり」とか、「どんなフォローをするつもり」なんて聞いても、「ほっといてくれ」といわれるのがオチだろう。彼には、そういう時もあるのだ。

その日の早い時間、ZawinskiはNetscape Commuicationsを辞めていた。元祖・インターネット新興企業のこの会社に、彼は5年の間プログラマとして在籍し、ブラウザ戦争の第一線で活躍していた。この会社の20番目の社員として、またWorld-Wide Webを今日あるほど一般的なものにしたチームの中核メンバーとして、Zawinskiはあらゆることを経験してきた。問題のソフトウェアの最初のバージョンを出すまでの取り付かれたような大騒ぎ、ロケットのように上昇したIPO、宿敵Microsoftとの歴史的な一戦(そして緩慢な敗北)、America Onlineによる会社の吸収合併。Zawinskiの旅は終わった。彼は疲れていた。この旅では現金が山ほど手に入ったが、彼は消耗し、欲求不満に陥っていた。Netscapeに対してだけではない。ソフトウェア業界全体に対してだ。

だが、その晩、ほら穴のようなクラブで大音量のバンドを前にしながら、彼は過去のことを考えてはいなかった。その点について言うと、未来のことも考えていなかった。彼が語ってくれた計画とは「何もしないことを、いっぱい」やるというものだった。最高にこみいった、人目につく、消耗した5年間を終えて、彼はただバンドに聞き入りたかったのだ。

若くて、金もある……この先、どうしろって言うんだ?これは見かけ以上にむずかしい質問だ。Zawinskiの置かれた境遇は、サンフランシスコやシアトル、その他、国内でハイテク企業が集まる地域に特有の状況だ。文字通り、何千ものインターネット企業の働きバチたちが、まだ30歳の誕生日も迎えないうちに、急騰するIPOに乗っかってあっという間に莫大な富を手にした。そして、この20歳台の百万長者たちは、ほとんどの人が夢見るだけの疑問に突如として襲われる。いったん騒動がおさまって、退屈したり、燃え尽きてしまったら、使い道に困るほどの大金を手にしてしまったら……この先、どうしろって言うんだ?

自身の金とスキルを、また新たなインターネット新興企業のためにつぎ込むものもいる。起業家集団に直系の仲間入りだ。中には絶望的にあたふたするものもいる。成功することがあまりにも自己イメージに直結してしまったため、本当に実現してしまうと、どうしていいかわからないのだ。ドロップアウトする人間もいる。ペースが速くて、プレッシャーのきついテクノロジーの世界を見捨てて、南海のビーチやボーリング場へ去ってしまうのだ。今までと同じことを相変わらず続ける人間もいる。自分の周りに積みあがったキャッシュの山には目もくれず、キーボードから目を離さない。

今や31歳になったZawinskiは、ありふれたことは一切やらない。彼はいつも大きなことを考えてきた。かつて「ソフトウェアを通じて人々の生活を向上させること」を職務目的として掲げたこの男は、今でも同じことをやっていて、この先もそれは変わらないだろう。彼はhackしているのだ。コンピュータの代わりに、サンフランシスコを。コードの代わりに、社会を。彼の目標は変わったかもしれないが、やり方は変わっていない。-- バグをつぶし、機能を付け足していくのだ。Zawinskiや、その他、彼と同じように新しく金持ちになった何千人ものハッカーは、その知性と粘り強さ、それに彼らの富を使って、アメリカの都市をリメイクする可能性を秘めている。そう、アメリカ文化やアメリカ経済をリメイクしたのと同じように。

Zawinskiにとって、それはDNA Loungeというナイトクラブで始まった。

***

Jamie Zawinskiは、コンピュータ・プログラマの間では、伝説の存在である。彼のキャリアは、ありとあらゆる障害をなぎ倒す - あるいは切り抜ける - ことで築かれてきた。技術的にも、政治的にもだ。それもたいていは、ウィットと、皮肉、それに物事を正しくとらえられないバカ者どもに対する盲目的なイラ立ちという、刺激的なコンビネーションをともなったものだった。

「ムカつくのは…」Netscapeのどこが悪かったのかを要約して、彼は、彼らしいぶしつけな調子でいう。「ITマネージャーが買いたくなるようなものを目指してソフトを書くことだ、みんなが使いたくなるものを作るんじゃなくてね」

Zawinskiがプロとしてプログラムを始めたのは、まだ高校を卒業する前のことで、Carnegie Mellon大学のコンピュータサイエンス部門で、人工知能のための言語LISPをハックしていた。彼はカレッジを飛び級して、新興企業とアカデミックな研究の間を飛び回っていたが、しばらくすると、伝説的人物との間で公然と派手なバトルをやって一躍注目を集めた。その相手とはRichard M. Stallman、広く尊敬を集める「オープンソース」ソフトウェア運動(コーディングの哲学、その代表として今日もっとも有名なのがLinuxオペレーティング・システム)の導師である。彼が作ったお気に入りのテキストエディタ、Emacsの次期バージョンの発表は予定よりも遅れていた。公式リリースを待たないで、Zawinskiは自分で作ってしまった。そして、その過程で、どんな邪魔が入ろうとも、とにかく仕事をやっつけるヤツという評価を確立したのだった。「人の足を踏んづけることなんて、なんとも思っちゃいないよ」Zawinskiは言う。「とにかく片付けなきゃいけない問題があったんだ」。

「Jamieが反体制的なヤツだってことは、[最初から] はっきりしていた」Zawinskiの最初の上司であり、よき指導者でもあったCMUの主任研究員、Scott E. Fahlmanは言う。「彼には物事の進め方についての独自の考えがあって、なんとしてもそれを守り通すんだ」。

Netscapeにたどり着くと、Zawinskiは、その後のインターネット新興企業で一般的になったカルチャーを確立し、通勤時間を節約するためにデスクの下で眠るようになった。彼はReally Bad Attitude(マジで態度悪い)という名前のメーリングリストを立ち上げ、ストレスのたまりまくったプログラマが、心置きなく管理者や、仕事仲間や、その他のおつむの弱い邪魔者どもを罵倒できる場を用意した。そして、もちろん、彼はニュー・エコノミー誕生にあたって産婆役も勤めた。初めての主流派のウェブブラウザの開発で、中心的な役割を担ったのだ。「Netscapeがとんでもない成功を収めることは確信していた」彼は言う。「ひとかけらの疑いもなかったよ。誰よりもスマートで、スピーディにやることだけが必要だった」

NetscapeがMicrosoftに対して市場シェアを失い始めたとき、この企業のリーダーに「オープンソース」にする、すなわち自社の基幹製品 - Netscape Navigator - のコードを公開して、誰もが閲覧し、改変できるようにするよう説得したときにも、Zawinskiは力を発揮した。企業が自社の知的財産を開放するなどということは、その当時、前例のない手段だった。「Mozilla」プロジェクトはまだ成功したとはいえないものの、(Linuxのような、その他のオープンソース・プロジェクトが人気を集めたこととあいまって)それは、他の企業 - この中にはIBM、Sun、それにHPが含まれている - に先鞭をつけるものとなった。

Zawinskiは、Netscapeを離れるにあたっても爆弾を落としていった。橋を焼き捨てたばかりでなく、蒸発させてしまったのだ。彼自身のウェブサイトに掲載した文書の中で、彼はこの会社の現状をこてんぱんにやっつけた。あふれんばかりの長年の不満と失望を、怒り半分、悲しみ半分の長広舌でまくしたてた。Netscapeは「デッカクなった」と彼は書いている。「だが、でもデッカイ会社ってのはクリエイティブじゃない。……スゴイことってのは、目的が一致しててやる気のある人間が集まった小さなグループでなされるものだからね。たくさんの人間が関係するほど、組織はトロくてバカげたものになってしまう。

「ボクらの業界ってのは、2つの人種に分けられるんだ:会社を成功させるために働きたがるヤツと、成功した会社に勤めたがるヤツだ。Netscape は初期に成功し急速に成長したせいで、前者を雇うのをやめてしまい、後者を雇い始めた」

インターネットのチャットで、誰かがこんなことを彼に聞いた。キミが、以前の雇い主を悪く言うよう奨めるのは、大金持ちになりそこなった人のためなのかい?彼の答えは、独特のトゲのあるものだった。「本当のことを言うか、さもなくば臆病者で一生を送るか?それ次第だよ」

中性子爆弾のようなメッセージは、ビジネス界にも、プログラム界にも混乱を巻き起こした。Netscapeのある管理職は、後参組でしかもチームプレイヤーだった。彼は、Zawinskiに「いやなやつ」というレッテルを貼っている。低レベルの労働者は、ビッグになった企業のどこが悪かったのかを冷めた目で分析してみせると大喜びする。Netscapeの経験豊富な共同創業者、Jim BarksdaleはNewsweekにこう語った。「Jamieは友達だ。でも、あらゆる決定事項に関して彼の言うこと聞いていたら、100人以上の企業には到底なれなかったろう」。彼の辞職は、インターネットに大きな影を落とした。それは、ひとつのサインとして、すなわちNetscapeの最後の、そして最良の希望が、ドアから歩み去ってしまったものと受け取られた。

そして、Zawinskiは?彼はバンドを聞きに出かけていた。

***

「ボクは音楽が好きなんだ」Zawinskiは、自身のウェブサイトでこう書いている。「特にライブ音楽がね。1989年にベイエリアに引っ越したとき、ここで一番驚かされたのがそのことだ。ほとんど2週間おきに、すごいバンドが見られるんだから」

「でも、もうそうじゃない」

この10年間で、サンフランシスコはインターネットとニュー・エコノミーの中心地として爆発的に成長した。第二のカリフォルニア・ゴールドラッシュのおかげで、街は根本的に変わってしまった。何千もの企業、何10億ドルものお金が集まった結果、逆説的なことに、突如として街の活気は吸い尽くされてしまったみたいだ。意外にも、サンフランシスコは静かな街になってしまったのだ。家賃はウナギ昇り、政治的雰囲気も紳士的になったせいで、仕事にも遊びにも熱心なやり手を引き付けていたそもそもの魅力が、かえって失われてしまった。

例えば、クラブ - 特に深夜営業のクラブ - は、嫌われるようになった。The San Francisco Bay Guardianは、この状況を称して「ナイトライフへの宣戦布告」と呼んでいる。

「どっちを向いても、サンフランシスコのクラブはどんどん消えていってる」、その数は、過去5年間で半減した、と語るのは、Zawinskiのビジネス・パートナーで、古くからの友人でもあるBarry Synoground。「オレたちは、宵っぱりなんだ。友達もみんなそうさ。普通の仕事をしているやつなんてほとんどいないから、妙な時間に出歩きたがるわけ」。午前3時に仕事が終わっても、それから、燃え残りのカフェインを発散できるところはあまり残っていない。

「この風潮が続いたら…」Zawinskiは言う。「何年か先にこの街がどうなってるか、想像もつかないよ。レストランだって、家賃の上昇に耐え切れずにどんどん店を畳んじまうし……。住宅とオフィスしかなくなったら、ここってどんなところになると思う?ナイトライフもなきゃ、マクドナルド以外には食うとこもありゃしない」

Zawinskiが取り組んでいるのは、この問題だ。クラブがなくなったせいで、「いいバンドをいっぱい見そこなった」とZawinskiは言う。「いつもそのことで文句ばっか言ってるよ。2回ほど、バンドを見にわざわざシアトルまで飛んだこともあるよ。昔はここ、サンフランシスコでもプレイしてたのにね。すごく好きなバンドだったのに、会場があんまりひどいもんだから、すっかり冷めそうになったよ」

「ある日、ある友達がこう言った。『文句ばっか言ってないで、なんかやったら?』その時、ピンと来たのさ。オレにはできるって」

遠くから見ると、ささいなことかもしれない。ナイトクラブごときで、そもそも何が変わるっていうんだい?常識的なベッドタイムをはるかに過ぎた夜更けにダンスできるからって、この世界全体にどんな影響がある?超高価なステレオってだけのことじゃないの?

ほとんどの人にとってはそれだけかもしれない。だが、Zawinskiはハッカーだ - 昔、Netscapeの頃には、名刺にまで肩書きとしてそう刷り込んであった。そして、ハッカーは独自の種族だ。コンピュータの前に座って、画面を流れていくコードをえんえんと見つめ続けるのと同じ集中力をもってすれば、ナイトクラブをオープンして、評判を取ることだってやり抜けるだろう。ハッカーは修理屋で、発明家で、トラブル解決人だ。いらだたしい問題にエレガントな解決方法を見つけることほど、彼らをワクワクさせるものはない。真のハッカーにとって、不快な現状と理想的な正しさの間にあるのは、こまごました実装上の問題に過ぎない。どれだけかかろうと、解決すべき問題をひとつずつ片付けるまでだ。

コードを1行変えるだけでコンピュータのクラッシュを防げるなら、クラブを1軒開くだけで、この街のナイトライフを救えるかもしれない。DNA Loungeは、言うまでもなく、本当のビジネスを狙っている。利益を出さなくてはいけないということは、Zawinskiにもわかっている。だが、それはかつて彼が愛したサンフランシスコの一部を復活させる試みでもあるのだ。「街に何か返せればいいなと思ってやってるんだ。ボクのホームタウンにね」、認可委員会を前にして、Zawinskiはこう言った。深夜営業のライセンス獲得のための戦いだった。「何かが足りない、直さなきゃいけない問題がある。誰かがやらなきゃ。それがオレってのも悪くない」。

***

ずいぶん以前から、ハイテク百万長者が金に飽き飽きするという話はよくあった。速いクルマ、デカい家、ヨット、飛行機 - この一群の人たちは、物理的世界に興味を失い、身奇麗にするなどというささいなことは、気にもとめていないと思われている。ところが、インターネット・バブルが生んだ富の大方は、あいかわらず、何世代も前から金持ちが現金で買いあさったのと同じものに費やされた。

それもやがて変わるだろう。世界史上、もっともドラマチックに資本が形成された時期が過ぎた。その結果、この国の都心は、若くて、頭がよくて、進歩的で、しかもすごく暮らし向きのいい人たちであふれかえった。オタクたちだ。長い間地下室に閉じ込められていたが、じわじわと日光の下に出てきた。しかも、彼らはたんまり持っている。階級としてのハッカーが栄えたのは、大筋において、彼らが現状に激しい不満を抱いていたことに起因する。そして、飽くことなき彼らの知性は、経済の技術的根底を改革した後すぐに、もっと一般的なものに向かった。興味を奮い立たせるものならあらゆるものが対象だ。この国は、巨大な社会学的実験の始まりに立ち会っている。いったい何が起こるだろう?頭のいい、クリエイティブな人たちが、自分のアイデアを追求する手段を手にしたら?

「このイカれたベンチャーには、僕自身、かなりのリスクをかけている」Zawinskiは言う。「悪くすると、生存競争に逆戻りするしかないだろう。もしそうなったら、誰かに頼んで、おでこに『基地外』ってイレズミを入れてもらわなきゃ。たった一回の若さを無駄にするんだからね」

うまくいかない恐れはかなりある。あらゆる実験が成功するわけではないからだ。Steve WozniakはApple Computerの共同創立者で、Zawinskiの心の師でもあるが、80年代初期にアメリカで開催されたWoodstockもどきの音楽フェスティバルにお金と熱意をつぎ込んだ挙句、何100万ドルもフイにした。USWebの支配者、大金持ちのJoe Firmageは、UFOがやってきて彼の地位をひっくり返してしまうという説を唱えたが、大衆には広まらなかった。

だが、うまくいけば、単なるビジネスの成功以上の何かを生み出す可能性がある。Microsoftの共同創立者、億万長者のPaul Allenは2億5千万ドルを注ぎ込んで、Frank Gehry設計によるExperience Music Projectを、この6月、シアトルにオープンさせた。ロックンロールの伝説を広め、促進するためだ。MicroStrategyのCEO、Michael Saylorは、オンライン大学創設のために1億ドルの資金提供を約束した。元Microsoft副社長のChris Petersは熱狂的なボーリング・ファン。このスポーツの復活を願って、Professional Bowlers Associationまで買い取った。そしてWozniakは、この中でも最高だと思うのだが、今ではカリフォルニア州ロスガトスの小学校/中学校で、子供たちの教育に取り組んでいる。

Zawinskiは、彼のDNA Loungeに対する野心を説明して、単に「自分がクールだと思う場所を作る」だけだと言っているが、このクラブはサンフランシスコを変えるだろう。わずかながらも、Zawinskiが正しいと思う方向へ。「ナイトクラブの経営が一生の夢ってわけじゃないんだ」彼は言う。「でも、問題がある。ボクにはそれをフィックスする力がある。だからここにいるんだ」

そして、それがすべてだ。キーボードを手にしたハッカーは、個人的熱狂をもってコンピュータを変えることができる。小切手を手にしたハッカーは、個人的熱狂をもって世界の一角を変えることができる。うまくいくまで、いじくって、デバッグだ。Zawinskiその他、彼のような何100人ものハッカーたちは、残りの生涯をかけ、富を注ぎ込んで、技術のみならず社会までも変えるだろう。彼らが望むような場所に作り変えるのだ。どの人間も、各自のねばり強いハッカー精神でもって、これまで解決できなかった問題に取り組むことだろう。政治でも、宗教でも、文化でも。もちろん、深夜のナイトライフだって。

なぜって、誰しも時には、ただバンドを聞きたいことがあるからさ。

->原文:Hacking the City
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