苦難のとき

著者: Eric S. Raymond

日本語訳: yomoyomo


以下の文章は、When times get hard の日本語訳で、LWN、Slashdot などに投稿されたものである。

本翻訳文書については、以下の方々にご教示を頂きました。ありがとうございました。


VA Linux Systems が従業員の25%を削減する予定であることが、今日の新聞各紙をにぎわした。そのプレス・リリースは、例によって当たり障りのない中立的なもので、我々の収益の健全な増加と明るい見通しを強調していた -- それは誰もが思い浮かべる企業の語り口の一種であって、それを VA は書かなければならなかったということだ。それもゲームの一部なのだ。

ご存知のように、僕は VA の役員を務めている。僕は、Larry Augustin に対してアドバイスをする職務を持った五人余りの役員の一人であり、彼が成すべきことについて進言した役員会議にも出席していた。僕はその決定の一部を担ったが、それは容易なものではなかった。

僕は今、VA を代表して書いているのではない(僕は基本的に、その手のことは絶対にやるつもりはない。それは僕の仕事ではない)。僕自身の意見を書かせてもらう。その日の午後、仲の良い友人達と話しをし、彼らの中に特に責任があるわけでないのに首になりそうである人が何人かいるのを知りながら、VA 本社の中を歩き回るのは、奇妙で悲しい気持ちだった。

VA が現在経験しているのは、流血の儀式のようなものだ。市場の論理は情け容赦ない。目標数値に達しなければ、投資家は収益性が上がるために何かやっている証拠を求める。つまり、従業員一人あたりの収益を増やすための最も手早い方法で、そのために投資家が事実上要求するのは、最も売り上げへの貢献の低い従業員をレイオフすることである。

さもなくば、上品に言うところの「投資家の信用を失う」ことになる。そうなってしまったら、企業は生命維持装置の助けを得るようになり -- つまり株式を売ることで資本を得ることができなくなり、その波及効果が出ると -- 潜在顧客を逃してしまいがちになる。顧客が逃げ出せば、その企業は資金が尽き、死を迎える。もしくは大きな競争相手か、(さらに悪いひどい場合には)資産を切り刻んで売り払い、その企業を腐らせてしまう芸術的投機家のものになってしまう。

僕はそうならない可能性があると思っているから、従業員の25%カットに賛成した。会社がなくなってしまえば、従業員もいなくなるし、僕の友達が、未だに愛し、気にかけている企業に再び舞い戻って働くようになる可能性すらなくなってしまう。

僕は、VA が抱えている問題は解決可能なものだと考えている。VA は、ドットコム・バブルの隆盛と、我々が迎えている景気下降に振りまわされているのだ。でも、それに対処するために何をすべきかを我々は知っている。SEC[訳注1] 言うところの「前向きな声明」をやるのを避けるため、ここで我々の戦略や、将来の見通しについて語るつもりはない。それについては、VA の広報担当者に尋ねればよい。

しかし、僕がこの小文を書いている真の動機は、VA に関することよりももっと大きなことだ。それはオープンソース・コミュニティの状況に関することであり、困難を迎えたときに心に留めておくべきことである。

VA は、Red Hat とともに、オープンソース・ビジネス・コミュニティの二大先導者の一つである。自制心を失い、今回の後退が破滅の前触れであり、我々のコミュニティのゲームがお終いであると考える人達もいる。僕が名前を挙げるまでもない、特定の独占的なクローズドソースの競争者は特に、VA のようなトラブルが市場の沈滞時には非常に一般的であることをわきまえているくせに、それにもかかわらず FUD キャンペーン時の攻撃手段として利用するのだ。自分達の息のかかったプレスの記者に静かにほくそえむ Steve Ballmer と Jim Alchin を目にすることを予期することだ[訳注2]。それに備えるのだ。

それから、「銀河ヒッチハイク・ガイド」の背に大きく親しみやすい字で書いているように、パニックにならないように![訳注3]我々が現在目の当たりにしていることは、至極当たり前なものだ。長く続いた、目が眩むような好景気が終わりを迎えたばかりであり、微笑みもシャンペンもビジネス・プランを探してうろつきまわるベンチャー・キャピタルもすべて、普通じゃなかったんだ。景気循環が起こり、経済全体でレイオフや経費削減が行なわれている -- そして、これもまた終わるものなんだ。きっと事態は良いほうに向かう。

実のところ、景気低迷には効用が一つがある。その間、IT 部門やソフトウェア・ユーザは一般に、経費を切り詰めるプレッシャーを受ける。それにより、低コストでフリーなソフトウェアがより魅力的になる。今後数ヶ月の間に、いままで潜伏していたたくさんの Linux が、急に表に出てくると期待してよいだろう。それは、ライセンスやサービスのコストを切りつめれば良好な四半期報告をあげられると管理職が気づくからで、そしてその下で働いてる技術者も上司の認識が変わったことに気がつき、NT をインストールしてあるはずのマシンを、密かに Linux にリプレースしてきたことを白状するからだ。

だから、不況というのは、何が何でも全部悪いニュースというのでもないんだ。我々がやっている、できる限り最高の仕事を続けるべきなんだ。そして経済がふたたび上向きになれば、それが一層引き立つというものだ。

4100万ドルもの純資産を理論上得て奇妙に感じたことについて対処しようとした、"Surprised By Wealth"[訳注4]というエッセイを書いた、IPO の時点に戻ってみる。その「富」とやらをすべて失って、少なくとも株価が反発するまで、動揺しているのだろうか? うーん…そうとも言えるし、そうでないとも言える。VA の役員の一員としては、株主全体を代表して、株価を気にかけることが、自分の仕事である。だから、株価には関心がある。

でも個人的には? ノーだね。金のために VA にいたことはないし、今だってそうだ。大部分のハッカーと同様、僕は自分が好きなことをやり、ときにはそれに対してお金を出してくれるよう人を説得できるのを神に感謝する。時々それをうまいこと利用しているようにすら感じるよ、違うかな?

とどのつまり、企業におけるはかりごとばかりが大事なのではない -- 大事なのは世界を変えることであり、ソフトウェアを良くし、ユーザにより多くの選択肢を与えることである。それは素敵なお祭り騒ぎだったが、我々の中には、そこらに溢れるあぶく銭に少し乱している者もいた。もし不況が、我々の目をドル記号からそらし、仕事にしっかり戻るようにするだけなら、それこそが結局のところ、我々にとって最良のことなのかもしれない。


[訳注1] Securities and Exchange Commission、証券取引委員会 [本文に戻る]

[訳注2] マイクロソフトのプラットフォームグループ担当副社長である Jim Alchin は、「オープンソースは知的財産を破壊する」「GPL はアメリカ的でない」と攻撃し、それに対して名指しされた Richard Stallman が反論している [本文に戻る]

[訳注3] 2001年5月に急逝したダグラス・アダムス著「Hitchhiker's Guide to the Galaxy」(邦訳は『銀河ヒッチハイク・ガイド』)のことを指している。この本において、「銀河ヒッチハイク・ガイド」の外側に DON'T PANIC! と刻んでいるという設定 [本文に戻る]

[訳注4] 日本語訳「思いがけない財産」 [本文に戻る]


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初出公開: 2001年02月26日、 最終更新日: 2001年05月15日
著者: Eric S. Raymond
日本語訳: yomoyomo (E-mail: ymgrtq at yamdas dot org)