開かれた心を保つこと

著者: Eric S. Raymond

日本語訳: yomoyomo


以下の文章は、Eric S. Raymond による Keeping an Open Mind の日本語訳である。

本文は「魔法のおなべ」と同時期に書かれたものであり、ピアレビューをキーワードにしてオープンソース・ソフトウェアの高信頼性を押しまくるという意味で同工異曲と言えるだろう。ただ技術専門誌のために書かれた文章でないため、主張がずっと単純化されていて、アンチ・マイクロソフト的視点を明快に利用している。

本翻訳文書については、以下の方々にご教示を頂きました。ありがとうございました。


(以下のエッセイを軽めに編集したバージョンを、Barnes & Noble 社の刊行物「Cyberian Express」1999年3/4月号に発表した)

インターネットの出現は、ソフトウェア産業に様々な抜本的な変化を巻き起こしている。我々は通常、インターネットの主要な価値(そして挑戦でもある!)を、情報伝達、処理のコストが劇的に安価になることだと考えている。それは、インターネット革命における派手で、上手に誇大広告された一部ではある。

しかし、それ以外のものも同様に進行中なのだ。インターネット技術の伝統、それ固有の文化、そしてそれにまつわる伝承技術でさえも、来るべき世紀における創造性集約的、ソフトウェア集約的な経済が重要になりつつあるという課題を抱えているということがわかってきている。

静かなる革命が進行する中で、世界中にとどろく号砲となったのは、1998年のエープリル・フールの真夜中に行われた、Netscape 社の「Mozilla」ブラウザのソースコード公開だった。これによって、広範にわたるプレスや衆目が、劇的なまでに異なり、根本から対立する二つのソフトウェア開発スタイルの対決に目を向けた。それは30年に渡って積み重なってきた対立であるが、World Wide Web の出現や1993-94年における一般レベルでのインターネットの爆発を経た後では避けられないものになった。

スタイルの一つは、独占ソフトウェアを工場生産する伝統的なモデルで、「クローズド・ソース」と呼ぶことを覚えていただきたい。このスタイルでは、消費者はソフトウェアの中身を調べたり、修正したり、進化させたりすることのできない、中身を隠匿したバイナリ形式で手にする。このアプローチの旗手はマイクロソフトである。

他方は「オープンソース」というもので、インターネット技術の伝統でもあって、検査、独立したピアレビュー、そして急速な発展を行えるように、一般にソースコードを手に入れることができる。このアプローチの旗手は Linux オペレーティング・システムである。

現在よく知られるところとなったハロウィーン文書は、マイクロソフト自身の言葉で、過去九ヶ月間でいよいよ明らかになってきたもの、つまりオープンソース・モデルがクローズド・ソースモデルを時代遅れなものにする方向に着実に向っている、ということを認めた。しかし、その理由を理解し、これが未来にとってどのような意味を持つのか明瞭に考えるためには、我々はマイクロソフトや Linux の特殊性に立ち戻り、三つの事項、すなわち信頼性、所有権にかかる総コスト、そしてソフトウェアのリスクについて、品質に関する、一般的な事項を考慮する必要がある。

歴史的に言って、技術や科学の領域において成果の高信頼性を得る方法は、ピアレビューを制度化することである。物理学者は自分の実験方式を他の物理学者に隠すようなことはしない。それどころか、彼らは懐疑的にお互いの研究をチェックし合う。技術者は、元のデザイン・グループと無関係の他の技術者に青写真をまず点検してもらってからでなければ、ダムや吊り橋を築きはしない。

ソフトウェア産業において、信頼性というのは歴史的にぞっとするような状態であり続けている。クラッシュ、ハング、データの消失なんてことが未だにありふれたことなのだ。また、概してピアレビューは行われていない。インターネットのインフラを目の当たりにするまで、以上の事実が無関係に思えるかもしれない。インターネットのコアとなるソフトウェアは全てオープンソースであって、信頼性はすこぶる高い。これは強力な証明にさえなっている。というのも、インターネットはマルチプラットフォームであり、不均一で、国際的で、三十年に渡る技術的な数世代を通して、下位互換性を本質的に保ってきたのだから。

その原型は単純で、かつ注目せずにはいられないものだ。オープンソース・ソフトウェアのあるところに、ピアレビューと高信頼性もある。もしそれがなければ、信頼性は手ひどく損害をこうむる。この事実自体で、今後ソースをクローズドにした開発を無用のものとするのに十分だろう。

所有権にかかる総コストもまたオープンソースによって徹底的に影響を受ける。クローズド・ソースの世界では、ソフトウェア生産者はバイナリに料金をかけ、サービスに効果的で独占的な錠をかけることができる。従って、主要なクローズド・ソースのパッケージは、前金で数千ドルかかり、サービスやアップグレードを継続する対価として、年あたり数千ドルかかる。

オープンソース界では、バイナリは無料で、供給者はサービスやアップグレード・ビジネスを行うのに錠をかけることもない。従って、前金だろうが年あたりだろうが、サービス/サポートにかかる対価は小さい。マイクロソフトを基準にすれば、まことにショッキングで脅迫的なまでに小さい。

所有権にかかる総コストについては、オープンソースの間接的な効用さえも強力である。予算の足らない教育公共施設は、費用のかからないソフトウェアを好む。そこで、オープンソース・ソフトウェアを特に好むわけだ。だって生徒に学習するのに非常に有益な、オープンソース・ソフトウェアの調査や実験をやらせることができるもの。大学や技術学校は今では、Liuux に目覚めた卒業生を増大する洪水のように生み出し始めている。その誰もが、ことによるといかなる MCSE(訳注:Microsoft Certified System Engineer、マイクロソフト社認定システムエンジニア)がクローズド・ソースである Windows に関して持つよりも、オペレーティング・システムについて遥かにより多くの知識を持っている。こうしたことの人件費や教育コストに与える潜在的なインパクトは想像するに難くない。

しかし、オープンソースが持つ最も重要で長期間に渡る効用は、ソフトウェアのリスクに関するものに違いない。その理由を理解するためには、クローズド・ソフトウェアの供給者の独占という見地に再び着目する必要がある。あなた方がフォーチュン500に入る企業の CTO(訳注:Chief Technology Officer、最高技術責任者)であるとして、内部も見ることもできず、修正もできず、単一のベンダにサービスを頼るソフトウェアで構築した戦略上重要なビジネス・システムに数百万ドルも費やしたばかりだとしましょう。

さて・・・そのシステムはあなたのビジネス・プランをかなえるために変更することがあるでしょうか? そうでなく、あなたのベンダのビジネス・プランが変わることは?

ベンダへの不健康な依存に縛られる場合、誰もが分かる唯一の選択肢しかなくなる。クローズド・ソースのリスクを評価するのは難しい。しかし、オープンソース・ソフトウェアによって、消費者は自らの運命を手中に取り戻すことになる。オープンソース・ソフトウェアは、拡張、サービス、そしてサポートに関して買い手市場を生み出す。つまり、社内で開発するか、もしくは多数ある競合サービス・グループのいずれか一つと契約するかを含めた多様な選択を可能にする。

具体的には、あなたの使用している OS が Windows なら、マイクロソフトが唯一の選択肢になり、あなたは閉じ込められ、罠にかけられる。もしそれが Linux なら、Red Hat がサービス業をよくやってくれるに違いないし、そうでなくてもそのビジネスが Caldera や S.u.S.E の手にわたらないか見てればよい。そしてもし Red Hat や Caldera や S.u.S.E がコケたとしても、一万ものインターネット上の開発者が、同じくフリーで、一般的で、徹底的にバグ取りされたコード・ベースを使用した新しいディストリビューションを快活に発表するだろう。

オープンソースがドライバー席に座ったソフトウェア消費者に、劇的に低い所有権の総コストを提供すること、そして高信頼性を確保して動作する唯一の秘訣であることを見てきた。以上の素晴らしい根拠をもってすれば、厳密に信頼性が高くなくてはならないシステムのためにソースがクローズドなソフトウェアを購入することが、まったく無責任なことだとみなされるのもそう遠くない話かもしれない。

そう、静かなる革命が終われば、マイクロソフト製品を買ったというせいであなたは首になりうるのです。それでもこれまで通り気楽に行こうというなら、今首になるべきなのかもね。


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初出公開: 1999年12月06日、 最終更新日: 2000年11月23日
著者: Eric S. Raymond
日本語訳: yomoyomo (E-mail: ymgrtq at yamdas dot org)
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