個人の利益と公益

オープンソース・ソフトウェアには、独占ソフトウェアに勝る明確な利点がいくつかある。前記の通り、オープンソース開発において広範囲に行われるピア・レビューの過程で、独占ソフトウェアと比べてエラーが少なく、資源効率のよいソフトウェアが作り出される。その上、OSS はセキュリティ・クリティカルなアプリケーションには欠かせない。コンピュータ・セキュリティ分野の専門家である Bruce Schneier が指摘するように、真のセキュリティは、プログラムが有する可能性のあるセキュリティの欠陥を隠そうとしていては決して達成されず、むしろ誰でもがそうした欠陥を見つけ、排除できるようにした方がよい[14]。オープンソース・ソフトウェアならこれが可能になる。多くの政府機関は、その機関自身でソースコードを検査し欠陥を探すことができないと、セキュリティ・クリティカルなアプリケーション分野でソフトウェアを使わないだろう。独占ソフトウェアの場合、これが大抵難しいし、当局はソースコードにアクセスできるようにするために費用のかかる交渉を行うことになる。もしオープンソース・ソフトウェアがそうしたニーズを満たすのに利用できるなら、政府は追加費用なしにソースコードを手に入れることができるし、多くの場合そのソフトウェアは既に十分安全性が高い。

個人の顧客がオープンソース・ソフトウェアから享受するこうした利点は、政府における利用においても同様に利益となる。低コスト、信頼性、セキュリティ、そして特定用途に合うようにソフトウェアを改変できるということは、政府の購買局の全部重要な優先事項である。しかし、こうした利点は、政府が明確に OSS を推奨する行動を取る根拠とはならない。Raymond の言葉を借りると、

「フリーソフト/オープンソース文化が勝利するのは、協力が道徳的に正しいとかソフト「隠匿」が道徳的にまちがってるとかいう理由のためではなく(中略)、単に商業ソフトの世界が、ある問題に有能な人々の時間を幾桁も多くそそぎ込めるフリーソフト/オープンソース界と、進化上の軍事競争で張り合えなくなるからかもしれない。」[15]

しかしながら、OSS が広範囲に利用されれば、幾つかの点で米国経済に全体として利益をもたらすことになるだろうし、それこそが政府がオープンソース・ソフトウェア開発を援助、推奨する方針を採れば公益をもたらし、従ってそれが筋が通って有益な政府の試みになることの根拠である。

OSS がもたらす公益として最初に挙げられるのは、作業の重複による経済的損失を排除することがある。一つの企業、政府機関、もしくは軍関係機関により特定用途向けに書かれた全コード中の大部分(普通75%[16])は、他の用途には使われていない。コンピュータ工学における多くの問題が、多様な分野、用途で現れているのだ。例えば、私企業が科学調査用にソフトウェアを作る場合、軍の研究施設が同じ機能を果たすソフトウェアを既に書いていたとしても、一から特定のツールを作るのに、資金やプログラマの時間を費やさなければならず、それが合衆国の生産性に全体的に損害を与える、経済的浪費となるわけだ。もし政府の特定用途用に開発されたソースコードが公に入手可能なら、企業は一から作りなおすのではなく、このソフトウェアを改良し、付加価値をつけ、それに新しい市場を見つけるのにリソースを割くことができる。また逆も真である。つまり、企業によって開発されたソースコードを無料で政府や軍機関が利用可能なら、政府のソフト買い付けと研究開発にかかる支出を大幅に節約できる。

政府が既に公益として認知している分野が別にもあり、それが2000年問題を解決するために動き出している。これは、多くのコンピュータ・システムの時計が2000年の1月1日になったとき起きるエラーのことである。多くの重要なシステムで、年に2バイトしか割り当てておらず、こうしたシステムでは2000を1900と読みとってしまう。これが、銀行、病院、そして政府における重要なコンピュータ・システムを止めてしまい、大惨事となる故障をもたらすことにもなりかねない。クリントン大統領と議会は、そうした故障を防ぐための作業に身を入れてきて、2000年問題を解決する資金を割り当て、私企業にも同様に解決を目指す作業を始めることを促す法案を通過させた。

もしもっと多くのコンピュータ・システムがオープンソース・ソフトウェアを利用していたら、2000年問題を解決するのはずっと簡単で費用もかからなかっただろう。これは2000年問題が特にオープンソースによる解決に合ったものだからであり -- 問題は極めて広範囲に及ぶが、個々に行なう対策は単純だからである。多くのプログラムで、問題を解決するにはプログラマーが日付を指すところと、日付計算を行なっているところを見つけ、年のところを4バイトになるように拡張する必要がある。難しいのは、非常に大規模なプログラムの中で、日付を指しているとこ全てを見つけることである。それを行なうには、指しているところを一つも見落さないという大規模な協同作業が必要になる。プログラムが独占物の場合、ソースコードにアクセスする人の数が、すなわち日付を指しているところを全て見つけ、訂正できる人の数になるが、それはひどく限られている。他方オープンソースの場合、ほとんど数えることのできないくらいの数のプログラマーでこの作業を共有でき、ずっと効率的な解決が可能になる。その上、ソースコードにアクセスすることで、政府機関や企業が、製造業者の主張に頼る必要はなく、自分達で2000年問題が解決したか確かめることができる[17]。2000年問題を解決するのは、オープンソース開発という状況下なら簡単で、Linux オペレーティング・システムなどの、今日市場にでているほとんど全ての商品レベルのオープンソース・ソフトウェアは、既に2000年問題対策済みである。

オープンソース・ソフトウェアを推奨することが公益につながるということの、最も説得力のある根拠となるのはおそらく、OSS が本質的に反独占的なので、一部の経済学者がソフトウェア産業に存在すると信じている独占体質に対する効果的な解毒剤としての役割を果たすかもしれないということである。コンピュータのオペレーティング・システムや他の重要なアプリケーションの市場は、現在マイクロソフトに支配されている。現在進行中のマイクロソフトに対する反トラスト訴訟において、司法省はマイクロソフトがその独占を維持、拡張するのに、競争相手の邪魔をし、革新の息の根を止めるというという不法な手段を使っていると主張してきた[18]

経済学者の Brian Arthur は、ネットワークの外部性がもたらす現象(「収穫逓増」とも呼ばれる)が、ハイテク産業における独占を生み出し、粗悪な製品による顧客を犠牲にした市場支配を可能にしていると理論づけた。彼の学説によると、ソフトウェアには、「優れた技術が勝利するという(中略)仮定はない」[19]そうだ。ネットワークの外部性というのは、製品価値がそれを利用する人間の数とともに増していくことを意味する。これは多くの場合ソフトウェアの世界に当てはまる。というのも、特定のオペレーティング・システムを使う人が増えれば増えるほど、開発者が他のでなく、そのオペレーティング・システム用のアプリケーションを書くインセンティブも増し、言いかえればそのオペレーティング・システムの市場支配を強化することにもなるからである。初期の小さな優位性を、ほとんど突き崩すことのできない独占につなげることも可能である[20]。この現象は、特殊なプロトコルを利用するネットワーク間接続を行なうソフトウェアといった、オペレーティング・システムとアプリケーションの関係に加え、他の製品における関係でも起こり得る。

ネットワーク外部性による独占支配は、ソフトウェアの基底構造や、それが他のソフトウェアとどのように相互作用しあうのかということの詳細を秘密にしておくことにかかっている。マイクロソフトだけが、アプリケーション・プログラムが Windows オペレーティング・システムとやりとりを行うソフトウェア・インタフェースにアクセスでき、それを制御しているので、他のどの企業も、Windows 用に設計されたプログラムが動くオペレーティング・システムを設計するのは不可能に近い。マイクロソフトによる Windows プログラミング・インタフェースの排他的支配のおかげで、IBM の OS/2 といった他の競合オペレーティング・システムを排除することが可能だった。他方、オープンソースのオペレーティング・システムである Linux なら、この種の独占による排除は許されない。Linux のソースコードは公開されており、自由に入手可能なので、誰もが Linux を配布でき、Linux 用のアプリケーション・プログラムを動かせる別のオペレーティング・システムを書くことが可能なのだ。だから、アプリケーション開発者は特定のオペレーティング・システム製造メーカーに媚を売る必要がなくなるし、独占「ロックイン」のサイクルは壊れるだろう。たとえ Linux がオペレーティング・システム市場の大部分を獲得したとしても、一企業が競争に障壁を築くことはできない。事実、業務用レベルの Linux システムを開発する企業や団体は複数存在するし、こうしたシステム用に書かれたソフトウェアの大部分は、他のシステム上でも動く。

マイクロソフトも、いかに OSS が独占権力を排除するかということによく分かっている。前にも言及したマイクロソフトの内部メモである「ハロウィン文書」において、マイクロソフトの技術者 Vinod Valloppillil は次のように考察している:

「OSS はマイクロソフトにとって、短期的な収入とプラットホームに対する脅威をもたらすものである――これは特にサーバの分野で顕著となる。くわえて、OSS に見られる特有の並行主義と自由なアイデアの交換は、われわれの現在のライセンス・モデルではまねのできないものであり、したがって長期的には開発者たちの意識や方向性に対しても脅威となる。」[21]

Valloppillil は、OSS はソフトウェアの相互運用にオープンなプロトコルを利用可能であることを保証するので、OSS が独占支配を防ぐことも認識している。彼言うところの「Linux は、サービスやプロトコルが共有物になっている限り勝ち続けられる。」[22]とは、Linux が利用するオープンな通信規格のことを指している。

政府は司法省や他の機関を通じて、既にソフトウェア産業における独占権力のせいで起こる明らかな問題を訂正すべく、リソースを投じている。OSS を促進、推奨する計画こそが、この試みにコスト的に効率よく貢献するだろう。


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初出公開: 2000年10月02日、 最終更新日: 2000年10月20日
著者: Mitch Stoltz
日本語訳: yomoyomo (E-mail: ymgrtq at yamdas dot org)