Google -- 時よとまれ、お前は美しい --


Q:Google はどう発音するのですか?
A:Google で調べてください

 いや、だからどうしたというのではないのだが、こういう答え方が Google FAQ にあったら面白いかなと思ったもので書いてみた(後記:現在では、実際に「"Google" はどのように発音しますか?」という項目がある)。

 Google の読み方については、以前「窓の五年殺し vs 頼みの網」の中で、「どうやら「グーグル」らしい」と書いておいたのだが、その後結城浩さんから非常に面白い情報を教えていただいた。株式会社パルテックが出しているメールマガジンのバックナンバーに、興味深い記述があるとのことで、当該部分を引用させてもらうと(後記:現在は公開されていない)、

3月22日に、Bisiness WeekやCNETなどのオンラインメディアは、Yahoo!の最 高責任者 ティム・ゴーグル(Tim Google)氏や、創業者のジェリー・ヤン (Jerry Yong)氏がBroadcast.comの経営陣と買収の話し合いをしていると報 道しました。買収価格は、現在のBroadcast.comの株価を基準にすると30億ド ルをくだらないと言われています。この噂で、Broadcast.comの株価は、35%上 昇し、114ドルとなりました。

 ここでは Google を「ゴーグル」と読んでいるではないか。それ以上に驚くのが、Yahoo! の CEO の名字が Google だと言うことだ。まるでリンカーンにケネディという秘書がいて、ケネディにはリンカーンという秘書がいたという子どもの頃どこぞで読んだ話(だからこれが本当なのか確証がないのだが)を思い出させる因縁めいた興味深い話である(2000年6月に、Yahoo! 本家は Google と提携している)。これを読んだ瞬間、僕は「薀蓄linksで、Yahoo! JAPAN と Google を続けて取り上げよう」と決意した…と書くと、荒唐無稽に思われるかもしれないが、僕の場合こういった外からの偶然のインプットにより温めていた題材が繋がり、流れができたりすることがよくあるのだ。


 Yahoo! JAPAN に関する文章を書き、さて Google についての文章を書こうと情報を集めていたのだが、先日「米ヤフーのクーグル会長がCEO辞任」という記事を読みのけぞった。何だ、ゴーグルでなくクーグルではないか。スペルを見ると Koogle である。何のことはない、パルテックの人が単に Koogle を Google と勘違いして書いてしまったのだろうか。このネタを切り札にしてやろうとほくそえんだ僕が馬鹿だった。

 しかし、そうなるとまた一つ疑念が湧く。やはり Google は「ゴーグル」と読むのではないのか。ここまできて、一つ連想した別の英語における固有名詞の読みがある。それは Bowie の読み方で、ピーター・バラカンは、アート・アンサンブル・オブ・シカゴのトランペット奏者だった故 Lester Bowie のことを「レスター・ブーイ」と表記していた。しかし、である。彼と共演したこともある David Bowie のことは勿論「デビッド・ボウイ」である。

 一体両者のどこが違うというのだ、ピーター・バラカンよ…とこんなところで書いても仕方ないですな。残念だったので、ちょっと取り乱してしまいました。


 さて読み方はどうであれ Google である。この文章を書いている2001年春の段階で、最も多くの人から愛されている最強のサーチエンジンなのは間違いない。しかし、検索デスク検索力調査を見ると、実は Google が検索力において他を圧倒しているわけではないことが分かる。goo も一時期よりも盛り返してきたし、日本には個人運営としては驚異的な kensaku.org(閉鎖しちゃいましたね…)もある。

 逆に言えば、Google は検索件数だけに留まらない検索サイトとしての総合的な優位性を多く持っているのだ。

 その優位性はいくらでも挙げることができる。検索自体が非常に高速なのは素晴らしいし、サイト構成自体が検索に特化していてシンプルで、うざい広告バナーもないので表示も高速である。Internet Explorer のツールバーに追加できたり、iモード対応サービスがあったり(この二つは筆者には関係のない利点なのだが)、標準で日本語に対応しているところなど、使い勝手に関する企業努力が形になっている。


 しかし、何より Google を Google たらしめているのは、ヒット数が多いのは当然として、それに加え有用なページが検索結果の上位に来る仕組みを持っていることだ。つまり、検索結果が「多い」だけでなく「的確」なのだ。

 これを支えるのが、「Googleの人気の秘密」の中で紹介される PageRank である。これは基本的に、「多くの良質なページからリンクされているページは、やはり良質なページである」という非常に単純な考えに基づいている。しかし、それが正当性を持っていて、なおかつ強力であることについては、「Google の秘密 - PageRank 徹底解説」を是非読んでいただきたい。この数学的に詳細な解説もなかなかすごくて、PageRank の改善点(!)まで指摘しているのには驚いたが、これを書いたのが、かの「日本語全文検索システムの構築と活用」の著者でもある馬場肇氏であることを知ると納得である。氏による PageRank に対する結論を引用してみる。

だがさらに言えば、本当にすばらしい点は、単に考えついただけでなくて、アイデアを定常状態遷移の確率分布で定式化し、その有効性を実証するために実際にインプリメントし、現実のフィールドでもうまく動作することを実地に証明したことにある。この全ての段階において成功をおさめたことこそが、真に称賛されてしかるべきものなのである。


 あと Google について触れておかなければならないものに、キャッシュ機能がある。これもページの移動が多いウェブにおいては有用なのは間違いないが、これが Google が(多分)意図してなかったレベルで利用されつつあるのが興味深い。

 それは例えば、ローカル、リモート環境の両方のクラッシュのせいで失われてしまったウェブページを、Google のキャッシュ機能を利用して復元した話や、マイクロソフト社のサイトがダウンし、技術情報を取り出せないという緊急事態(大袈裟でなく、それが死活問題になる技術者は多いだろう)に対抗して Google のキャッシュから情報を取り出した奮闘話に留まらず、掲示板における自作自演を見破るというなかなかトリッキーな使われ方もされている(2ちゃんねる研究の過去ログ、2001年1月15日分参照)。

 ここまでは僕も読んで感心したものであるが、サイト作成者が閉鎖・削除したコンテンツを復元するのに Google のキャッシュが使われているのを見ると、ちょっと考え込んでしまう。削除したはずの日記などが晒し者にされているのを見るのはなかなか恐ろしいものである。だが、サイトの非公式なミラーリングというのは Google ができる前からあったのだから、Google にだけ責任があるのでは勿論ない。


 話を Google そのものに戻すと、Google のあり方というのが、既存の企業、検索サイトのアンチ足り得ていることに気付く。

 つまり、前回の Yahoo! JAPAN の話にも書いた、検索サイトのポータル化のアンチとしての検索のみに特化したシンプルなサイト構成、バブルにのっかった脆弱なビジネスモデルしか持てない信頼性の低いドットコム企業のアンチとしての、「製品こそが重要だ(Products really matter)」、「検索結果は売り物にしない!(Main search results not for sale!)」というポリシーとその具現化(先の馬場氏の分析を読み返してみよう)、という風に。そしてそれらは、我々インターネットユーザが真に望むものだった。「口コミが最大の広告」という、Google の CEO である Larry Page の発言がそれを裏付けている。

 そして、その成功者たる Google の未来はどうだろう。今後の成功も約束されているだろうか。実は、僕はその点に関しては余り楽観的には考えていない。


 1997年に goo ができたときのことを思い出してほしい。日本における初のロボット型検索サイトの登場に、僕は心底驚いた。一気に自分のネット上の視野が数百倍になったかのような錯覚を覚えたものだ。

 しかしその goo にしても、翌年のサイトリニューアルあたりからおかしくなる。サーバを Windows NT4.0 に入れ替えて一気に性能がダウンしてしまったことを当時、「がんばれ!!ゲイツ君」で揶揄されていたが、goo に限らず検索サイトがリニューアルすると、検索性能自体が落ちたり、ユーザインタフェースがダメになったり、と必ずしくじる印象があるのだが、これは一体なにゆえなのだろうか。

 Google がそうした旧世代と同じ轍を踏まないという確証はない。というか、その可能性は多いにあるだろう。個人的にはバナー広告まみれで表示が遅くなった Google なんて見たくない。しかし、Google だって慈善事業をやってるわけではない。収益をあげていかなくてはならないのだ。現実に Google は収益性にフォーカスするため、かつて積極的に展開してきた提携プログラムを中止している。

 Google が Google たる所以を支える PageRank にしても、実は10年以上前に同様の概念の論文があったという話があり、過去取得された忌まわしきソフトウェア特許の中にひっかかるものがないとも限らない(そして実際にそうしたウェブ検索に関する先行特許を行使しようという動きもある)。ビジネスモデルの根本から足元をすくわれる可能性だってあるのだ。


 僕が以上に書いた危惧については、数年後の Google のあり様で答えが出るのだろう。もしその危惧が当たってしまったら、この文章は古臭い歴史的資料にしかならないだろう。グーグルぅ? へー、あれ昔はイケてたんだ。今じゃ全然使えねえよ、という風に(もしくは Google 自体が存在しないとか!)。しかし、Google が現在のバイラルマーケティングを超えたところで確固とした地歩を占めれば、この文章はその過渡期の一段面を捉えたものの末席に加えてもらえるかもしれない。

 筆者としては、この文章の評価はどうでもよいが、Google は Google であって欲しいと願う。今の Google が検索サイトとして理想とするならば、今のままであってほしいし、時間よとまれと言いたくもなる。しかし、それは無理な相談だ。(ファウストだけでなく)企業にとってもそれは死を意味する言葉なのだ。企業が存在し続けるには前進しなければならない。それを分かっていても、その過程を見守る筆者は、彼らが得るものよりも、やはり失うものに注目し、哀切を感じるのだろう。


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初出公開: 2001年03月12日、 最終更新日: 2004年01月10日
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