モータウン・ミステリー
--そしてあのリズムだけが残った--


 僕は自他ともに認めるロック理屈派なのだが、この世には理屈抜きでどうしようもなく心動かされる音というのがあるもので、僕の洋楽体験初期においては、モータウン・レコードのあのサウンドがその典型だった。

 思わず太字で「あの」と書いてしまったが、一口でモータウン、と言っても、在籍者にはテンプテーションズ、スープリームズ、ジャクソン5のような芸能界的側面を代表するコーラスグループもいれば、スティービー・ワンダーやマーヴィン・ゲイのようなソウルの枠を超えた巨星もいるし、ジュニア・ウォーカーのような泥臭いサックス奏者だっている。ソングライター(プロデューサー)にしても、一般にはホランド=ドージャー=ホランド(H=D=H)のキャッチーな楽曲群が最も有名なのだろうが、初期はスモーキー・ロビンソンが大車輪で引っ張ったし、ノーマン・ホィットフィールドのようなロック的な要素を大胆に導入した鬼才もいる。いくらインディ・レーベルとは言え、その歴史を単一的に語ることなんてできやしない。

 しかし、「モータウン」という言葉から受ける統一されたイメージが確かに僕にはある。それは何かと考えると、やはりそれはベリー・ゴーディー Jr. という商売人による「ザ・サウンド・オヴ・ヤング・アメリカ」というヴィジョンであり、それを主に H=D=H が具現化したウキウキするようなメロディー・ラインであり、そしてそのメロディを支えたあのリズムなのである。


 またしても太字で「あの」と書いてしまったが、モータウン・サウンドをご存知の方ならうなずいていただけるだろう。最も代表的な例としてフォー・トップスの「アイ・キャント・ヘルプ・マイセルフ」が挙げられることが多いが、フィル・コリンズもカバーヒットさせたスープリームズの「恋はあせらず」だって何だっていい。

 僕の友人には洋楽について無知な人間もいるのだが、筆者と同じ世代の人なら、「ほらプリプリの『ダイヤモンド』のあのリズムだよ」と言って、ベースラインを口ずさめば、大体わかってもらえる。実際日本における歌謡曲、特に女性アイドルの楽曲にはモータウン・サウンドからのパクリが多い(奥居香はアイドル歌謡によって日本人にも馴染んだモータウンのリズムパターンを採用することで「ダイヤモンド」にセールスポテンシャルを持たせた、とも言える)。

 つまり、モータウン・サウンドの核とも言えるリズム、もっと具体的に書くと三連のフレーズを多用した軽快なベースラインは、下は日本のアイドル歌謡から、上はポール・マッカートニーをはじめとする世界中のベーシストにまで、大きな影響を与えてきたのだ。


 筆者は大学生のときピーター・バラカンの「魂(ソウル)のゆくえ」(新潮文庫、現在は絶版)という名著を読み、モータウンを支えたベーシストがジェイムズ・ジェマーソンという男であり、ドラマーのベニー・ベンジャミンと併せ、「ファンク・ブラザーズ」と呼ばれていたことを知った。ファンク・ブラザーズ・・・なんともカッチョいいネーミングではないか。自分をかつて魅了した者の正体を知ることことができ、何とも良い気分になったのを覚えている。

 「モータウン・ミステリー」の著者である鶴岡雄二さんも、「ファンク・ブラザーズという神話」を当然のように信じていた。また鶴岡さん自身ベーシストでもあるので、モータウンのリズムについては僕のような人間よりも愛着も造詣も深い。しかし「モータウン・ミステリー」は、その神話を突き崩すものである。

 正直言って、初めて「モータウン・ミステリー」を読んだときは、「絶句した」「崩壊していく恐怖」「血の気が引いた」といった大袈裟な表現が安易に使われているような感じがしてうんざりしたが、これも一音楽ファンとしての戸惑い、驚き、怒りの素直な発露なのだろう。


 「モータウン・ミステリー」は、デトロイトに居を構えて活動していたはずのモータウンのヒット曲が、ロサンゼルスで多数録音されていたこと示す記述を見つけ、疑問に思ったところから始まる。モータウンが70年代初頭にオフィスをロサンゼルスに移したことは僕も「魂(ソウル)のゆくえ」を読んで知っていた。しかしそれはショービズの本拠地である西海岸に拠点を移すことで、ダイアナ・ロスを映画スターにするという(勿論それだけではないが)ベリー・ゴーディー Jr. の方針の自然な帰結だったのだろう、と納得していた。

 しかし現実には、60年代中盤からモータウンの無視できない割合のレコードがロサンゼルスにおいて録音されていたのだ。

 そして、それを確かめていく過程で恐ろしい事実に行き当たる。

 我々音楽ファンや評論家が信じ込んでいた「ファンク・ブラザーズという神話」の崩壊である。木管楽器を多用し、H=D=H がサウンド的に新局面を切り開いた、ファンク・ブラザーズの名演の一つにも数え上げられるフォー・トップスの「リーチ・アウト、アイル・ビー・ゼア」のベースは、ジェイムズ・ジェマーソンでなくハリウッドのセッション・ミュージシャン、キャロル・ケイによる演奏だったのである。更に書けば、スティーヴィー・ワンダーの「メイド・トゥ・ラヴ・ハー」のベースも彼女によるものだった。というか、スープリームズのヒット曲のほとんどはハリウッド録音らしい。


 「予断偏見、誹謗中傷、罵詈讒謗」における、キャロル・ケイのフェアな態度と彼女を誹謗する輩どもを対比した記述を読み、どうしようもなく悲しくなった。

 ここで60年代のソウル・ミュージックの本質と、それが抱えていた矛盾に改めて気付かされる。60年代ソウルは黒人と白人が協力して作り出されたという素晴らしい面がある一方で、当時は音楽業界のみならず社会全般に、白人が黒人を搾取する構造が確かに存在した。「ザ・サウンド・オヴ・ヤング・アメリカ」という明るいスローガンは、公民権運動の盛り上がりにより地位向上を果たした黒人の姿にもダブるものであると同時に、白人をも広く受け入れられた。作り手にしても黒人と白人の両方が関わっていた。でもそこにあった構造的な矛盾は現在にまで形を変えて、悪影響を及ぼしているのだ。

 「白人にソウルミュージック」はできない、という主張など全く問題外であることは言うまでもない。これはモータウンよりもっとディープな評価を得ている南部ソウルの世界を見ればより明らかで、スタックス・レコードのハウスバンドであった MG's にはスティーブ・クロッパーという素晴らしいギタリスト、作曲家がいたし、マッスル・ショールズでアレサ・フランクリンのバックを勤めたのは全員白人だったことぐらいソウル・ミュージックの歴史のイロハのレベルの話だろうに。


 ただモータウンのことになると話が少し捩れてくる。モータウン自身が「黒人の企業」というイメージをこれまで作り上げ、会社移転までのロサンゼルス録音の事実を認めようとしないからだ。

 モータウンが「黒人の企業」というのは、非音楽的な面に絞っても実は正しくなく、モータウンが他のインディーズのように大手レコード会社に従属せずに済んだのは、バーニー・エイルズという白人の辣腕営業マンの力によるとこが大きいことは有名な話だ。

 モータウンがロサンゼルスで正規のライセンスを取得してなかったことや、ハリウッドのセッション・ミュージシャンに正規の料金を支払ってなかった(これが後の権利関係、年金関係の話をややこしくしている)ことが「モータウン・ミステリー」の中で触れられているが、ベリー・ゴーディー Jr. の搾取的で非常に狡猾な経営者としての気質を見れば、まず本当の話だったろう。そしてそれがモータウンがロサンゼルス録音のことを認めない一因になっていることも間違いないだろう。


 ちょっと暗い感じになってしまったが、特に注釈に書かれている内容は、結構愉快な記述を見つけたりしてミーハー的に楽しめたりもする。

 例えば、スモーキー・ロビンソンがモータウンの社歌を作っていたという話や(是非、聴いてみたい!)、ロック・バンドを滅多に誉めないキャロル・ケイもフランク・ザッパは音楽的にも人格的にも好ましく思っていたが、さすがに歌詞には当惑して参加を断った話とか。ただドアーズ(キャロル・ケイは「ハートに火をつけて」のベースも弾いていた!)の全員がプレイしたのはセカンド・アルバムだけ、という説はあんまりじゃないだろうか。また、ネルソン・ジョージ(黒人音楽評論家)に関する非常に辛らつな記述にも少し異を唱えたい気持ちもある。

 と、いろいろ面白く摘める話はあれども、「モータウン・ミステリー」全体から得られる認識にはやはり複雑な気分にならざるをえない。モータウンというレーベルに勝手に抱いていた(これもある意味60年代的な)幻想を修正しなければならないからだ。

 いずれにしても、真実はどうであれ、モータウン・サウンドの価値が下がるわけではない。これが本当に救いになっている。ジェイムズ・ジェマーソンは既に鬼籍に入っており、キャロル・ケイだっていずれは死ぬ。そういうことを書いている僕だってはそう遠くない日に死ぬ。しかし、モータウンのあのサウンドは、それとは関係なしに瑞々しい生命を保つであろう。それは本当に素晴らしいことだと思う。「モータウン・ミステリー」も鶴岡さんの次のような文章で閉められている。

だれがプレイしたにせよ、どこのスタジオで録音されたにせよ、音楽があたえてくれる喜びにはいささかも変化はない。ウソを見抜こうと人々の証言をチェックしているときには、こういうことが精神のバランスをとってくれるものだ。


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初出公開: 2000年03月01日、 最終更新日: 2000年12月30日
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