The Official Yamagata Hiroo Page
--天才の傲岸不遜--


 僕が山形浩生氏のことを知ったのは、凡そ十年前に溯る。現在でも連載を続けている雑誌 CUT の書評が最初に読んだ彼の文章だった。第一印象は何と傲慢な書き方をする人なのだろう、であった。文章に添えられた彼の経歴を読み、こういうマルチ人間(うわっ、陳腐な表現!)もいるのかと慄いたが、彼の文章にはそれ以上に感服させられた。

 大体他の書評というものが詰まらな過ぎるのだ。本を誉めてるのか貶してるのだか分からない、筋の引き写しが半分を占める、専門用語の生のままの展開、人気投票的な時流読みなど、数えればきりがないが、要は書評を読んで、「おうっ、それ俺も読んでみたいぜ」といきたいのだ。山形浩生は氏一流の明快で不遜でハイパーな文章でその願いをかなえてくれる。書評読んだだけで何か得した気分になるほどだ。山形氏の才能を見抜いた渋谷陽一の編集者としての嗅覚に感謝したい。


 CUT を購入しなくなって大分経った頃、今度は WIRED 日本版をはじめ、コンピュータ、インターネット関連の雑誌で氏と再会することになり(翻訳は余りリアルタイムな感じがしませんからね)、その成り行きで彼自身の Web ページに行き当たった。そこには CUT 誌連載の書評を先頭に、彼が過去執筆した文章がいい加減な管理体制(Not Found が多すぎるぞ!)のもと公開されていた(註:これは現在は解決されてます)。

 やはりまず CUT 誌の過去の書評を読んでみたが、驚いた。文章の内容に、ではなく大体読んだ記憶があったからだ。何書いてんだよ、と言われそうだが、あの雑誌を買わなくなってからも、山形浩生の書評はちゃんと立ち読みしていたらしい。

 氏について書くなら、当然翻訳家としての仕事にも触れなくてはならない。いまでは Eric S. Raymond の一連の論文の翻訳もすっかり有名になったが、つくづく氏のように技術的な文章をまともに翻訳できる人間の少なさに嘆きたくなる。訳す人間が日本語を喋ることも書くこともできない文盲だからか、実際の翻訳作業を飼い犬に任せているとしか思えない人が多すぎる。僕の知る限り、はっきり別枠に入れたいのは、山形氏と木村泉(G. M. Weinberg などを翻訳)氏ぐらいだ。


 しかし、彼が天才であるということだけを僕は書きたいのではない。それはそれですごいことだが、WIRED 日本版に連載された山形道場などは結構内容的にハズレだったり自ら敗北を認めていたりしてまとめて読むと結構感慨深い。また、文章本体に添えられた山形氏の編集部宛てのコメントや、あっちでボツになったのでこっちに流用した、などの付記を読むにつけ彼ほどの才能でも妥協や配慮があるんだなあ、という凡人である僕は思ったりもする。やはり彼の才能を適切に生かしている編集者が少ないのだろう。彼が連載をした雑誌は CUT 以外殆ど全て廃刊というのも悲しい話だ。「山形は何を書くかさっぱり見当がつかないので、こわくて頼めない」と本当に思っているのなら編集者は自らの企画力の無さを恥じるべきだ。

 あとこれは余談であるが、校正の入ってない彼の文章は typo の嵐で、普通そんな状態の文章は読んでいて苛々するものだが、本業と別のところで何本も連載を抱えるということのタイヘンさが他人事ながら想像できるし、誤記と内容の壮絶さが合間って別の迫力も感じてしまう。でも、「モンディ・パイソン」はあんまりだ。


 確かに山形浩生にはおっかなそうな印象があるのは確かだ。日本人はあまり個人の傲慢さを好まないし、小林よしのりなんかと違い、誰もケチのつけられない経歴を持つインテリである(そうでないから小林よしのりを駄目だと言いたいのではないよ。別の意味で駄目だけど)。文章はすさまじい毒舌に貫かれているし、そのせいかどうかは知らんが裁判の被告人になったり(僕はSFサブカル関係には無知がないので事情はよく分からんが、あの程度でよく訴えるものだ)、逆風も強いことは想像つく。

 しかし、山形浩生の文章から感じる傲慢は読み手への知識の押し付けや脅迫ではなく、飽くまで彼が獲得した文体に起因するものなのだ。氏の言文一致の文体は元から攻撃的であるし、同時に常に文章の向こう側の二人称を見失わないので、微妙な当てこすりや陰険な揶揄でなしに(それもあるだろうけど)、ダイレクトに読み手に伝わる。逆にいうと、読者の理解能力に関係なく文章が入ってきてしまうため、いきなり回し蹴りをくらったような感覚を味わう場合もある。


 と御託を並べてみたが、結局のところおっかなく思いながらも山形浩生を純粋に惹かれるんですな。ファンレターを送ったのって彼だけだもん。しかもメールを送ってから結構緊張してやんの。罵倒メールが返ってくる、と思っていたわけではないが(でも返事が来るとも思ってなかった、正直言って)。

 その後も一度性懲りもなくメール送ったことがある。hotWIREDで連載中の「ケイザイ2.0」での「消費税をアップさせてインフレを起こし消費拡大」というラジカルな景気対策に触発され、「国民年金の間接税徴収方式移行と完全リンクさせれば消費税をスムーズに段階的に15〜20%あたりまでアップ可能だ!」と得意げに書いて送った。その後、自由党が同じような事を政策として掲げている(但し前記の内容の前に一旦消費税をゼロにするというアメが入っている)ことを知り、あんな政界タコツボ連中でも考え付くことか、と凡人としての自分がつくづく嫌になった。


 「がんばれ!!ゲイツ君」について書いた贈与の精神のリンクではないが、僕自身の場合山形浩生氏の文章を媒介として、色んな分野が自分の中でうまくリンクされ「知の風通し(勝手な造語)」が随分とよくなった。当方はソフトウェア技術者なので、コンピュータ&インターネット関連は知ってて当たり前、である。で、実際知っている(ふりをしている)。それが彼の文章のおかげで政治・経済との技術の興味深い関わり方が大分見えてきた。またソフトウェアの文化背景まで見通せるようにもなったし。ソースを見る目も変わってきた。まだまだタコツボレベルだけどさ。

 Hiroo Yamagata Official Home Page は、山形さん自身の表現を借りると、「技術と市場と政治をきちんとおさえつつ、やはり最後は技術への情熱と興味に支えられた」知のリンクへの手がかりを、如何にも彼らしく愛想なく我々に提供してくれているのだ。散々教わったんだ、あとは僕自身が行動すればよい。FreeBSD のソースをいじり倒し、自宅の PC に Linux をインストールしてもがいている段階だけど、いつかは他の人に知のリンクを与えられるようになれたら・・・


[後記]:
 今読むといかにも底の浅い文章だなあ、と思う。山形浩生の本当の怖さを知らなかった頃ののどかな与太話である。


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初出公開: 1999年02月23日、 最終更新日: 2000年01月26日
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