リバータリアンがビル・ゲイツを愛せない理由

著者: Eric S. Raymond

日本語訳: yomoyomo、福田


以下の文章は、Eric S. Raymond による Why Libertarians Should Not Love Bill Gates の日本語訳である。

本文は1998年11月16日に公開されており、当時開始した米国司法省とマイクロソフトの独占禁止法をめぐる裁判に対する ESR のステートメントである。リバータリアンとしての ESR が必然的に導き出した意見とも言える。

本翻訳文書について福田さんから誤訳の訂正を多数していただきました。修正が入った箇所は文章全体に渡り、yomoyomo の倫理学、経済学、法学、英語文法の理解の欠如を正していただきました。また福田さんは日本人に馴染みの薄いリバータリアニズムについて著者に質問され、そのやりとりの骨子は訳注に反映させてもらいました。本当にありがとうございました。


ビル・ゲイツは多くのリバータリアンの考えを混乱させているようにみえる。司法省による独占禁止訴訟により、リバータリアンの信用性に損害を与えそうな意見を持った、少なくとも二つの能弁な陣営が現れた。

ある陣営は、ビル・ゲイツを強制的にやりこめられてしかるべき悪魔だと考えている。もう一方の陣営(大部分は予想通り利己的な自由主義論者[註1])は、ゲイツを祭壇にまつりあげ、国家統制主義者の小人どもに取り囲まれたヒロイックな企業家[註2]の役を彼に割り振っている。

ゲイツを悪魔とみなす連中の議論によると、マイクロソフトの独占というのは市場の失敗の古典的な例であり、それを軌道修正するべく政府の介入が必要、ということになる。こういった手合は経済学史の補習授業を受ける必要があるな。つまり、独占禁止訴訟には全くひどい前科があって、大抵は政府と結びつきのあるものへの報酬、政敵への迫害のための手段として利用されてきたんだ。従って、今度こそ真の悪党にぴしゃりとお見舞いするんじゃないかと確信するからといって、独占禁止法を擁護するに足りはしない。我々は、長年蓄積された歴史に目を向けなければならない。

とどのつまり、麻薬取り締まりやら銃規制なんかと同じくらい間違っている法律ですら、時には真の悪党をとっ捕まえることもある。我々リバータリアンは、自由が失われることによる損失が、たまに正義が果たされるというのでは対価が高すぎると判断する。それなら我々は独占禁止法の審査もまたすべきなのだ。

市場の失敗というものは、より自由な市場によってのみ解決される。歴史的に言って、独占というのは、政府が市場の入り口に障壁でも作ってくれない限り、15年ほどで半減期を迎えるうつろいやすいものなんだ。公共選択学派のエコノミストならば、政府による介在が長期にわたる政治的な失敗に陥りやすくて、病気そのものよりひどい療法だと説くだろう。実は政府による介在は、「市場の失敗」に対する信頼できる療法たりえないだけでなく、市場の失敗の主たる原因そのものなのである。ベル電話会社に政府お墨付きの独占状態をもたらした功労者セオドア・ヴェイル[註3]が十分に思い知ったように。

ゲイツを悪魔とみなす手合はひどい間違いを犯していて、国家統制主義者のレトリックや言説を多少まねたところで、国家統制主義者だけの利益に終わるだけだ。だが、ゲイツを英雄とみなす手合は事態をもっとひどくしている。連中はリバータリアンでない人達に、リバータリアンが明らかに間違っている行動を強く非難するだけの信頼性がないと教えこんでいる。

他の場合なら、リバータリアンは日常茶飯事的に、犯罪行為(脅迫、詐欺)と、犯罪ではなく実際個人の権利に守られてはいてもやはり誤っている行為(おそらくヘイト・スピーチ[註4]が典型的な例だろう)を区別している。

ヘイト・スピーカーの権利を検閲から守りつつ、その憎むべき内容を非難するのは難しいことではない。同様に、マイクロソフトの正真正銘独占的でソフトウェアの消費者から金を巻き上げるビジネス手法を非難しながらも、彼らの権利をエセ「反独占主義者」の介入から守ることはできるはずだ。

司法省による訴訟の根本となる法律についてどう考えても、公判における証拠は、マイクロソフトが虚偽、脅迫、そして拘束的な契約などの反競争的な戦術を通して独占状態を執拗に求めるのに、長期に渡って確立したパターンを暴露するだろう。ハロウィーン文書により、マイクロソフトの連中自身の言葉で、マイクロソフトの戦術のいかがわしさを詳細を確かめられる。

リバータリアンは、そうしたやり口を率直にすすんで非難していかなくてはならない。さもなければ、我々はそうした戦術が標準となってしまう未来を望んでいると告発されても仕方がない。もし我々が、マイクロソフトの不品行を強制でなく罰する市場の「見えざる手」の一部としての役割を果たさなければ、弾圧だけが有効だという議論を招くことになる。

一連の事実に対して唯一筋の通った反応は、司法省とマイクロソフトの双方を非難することなんだ。一方が悪党だから他方が聖者ということにはならなくし、一方が明らかに威圧的な手段を取っている事実さえも、自動的に他方の不品行を帳消しにするものではないんだ。

まったく、独占禁止法とマイクロソフトの双方を非難するという立場を公に表明すれば、リバータリアンがモラルの手本を示し、我々の価値について世間を啓蒙できる貴重な機会ができるのに。


[註1] 原文は Randites で、徹底的な個人主義を賞揚した小説家、思想家である Ayn Rand に由来する(「アイン・ランドかぶれ」といった意味だろう)。彼女は資本主義、自由市場、個人の所有権といったものを神聖視し、政府、それに個人より大きなシステムが個人の行動に介入してくるのをひどく嫌った。

福田さんが直接 ESR にメールに Ayn Rand について質問され、貴重なお答えを得ました。ポイントは以下の通りです。

Ayn Rand に関しては、THE AYN RAND INSTITUTE から情報を得ることができる。

[註2] 原文の Roarkian は、前述の Ayn Rand の小説「The Fountainhead」(1943)の主人公の名前 Howard Roark に由来する。モデルは米国の建築家、Frank Lloyd Wright(1869-1959)。

[註3] 20世紀初頭のベル電話会社のトップ。彼はベルを効率的・合理的な電話会社として再生させたが、徹底的な買収工作のため政府による介入を受けることとなった。しかし、その介入により独占排除どころか、1980年代まで続く電話通信分野の独占の素地ができてしまった。

[註4] この部分に yomoyomo はとんでもない訳をあてていたが、hate speech で一まとまり。KKK やネオナチの連中がアジテーションする人種差別的な発言などがその典型だろう。次のパラグラフの hate speaker もこれに対応している。


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初出公開: 1999年07月11日、 最終更新日: 2002年08月23日
著者: Eric S. Raymond
日本語訳: yomoyomo (E-mail: ymgrtq at yamdas dot org)
      福田 (E-mail: motofuku@ga2.so-net.ne.jp)
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