その理念の歴史

「オープンソース・ソフトウェア」という用語は比較的最近作られたものだが、その理念は長年存在し続けてきた。1960年代、コンピュータが扱いにくく難解なものだったころ、全てのソフトウェアは、基本的に「オープンソース」であった。当時のコンピュータ・ユーザは皆、事実上同時にソフトウェア開発者でもあったので、日常的に使うソフトウェアに変更を加えるのも必要な仕事で、IBM のような製造メーカーによるコンピュータには、通常ソースコードも添付されて出荷された。コンピュータ科学者の緊密なコミュニティ内では、プログラムも理念も自由に共有されていた。1970年代のはじめ、多くの業種にわたる企業が(そして後には個人も)、多種多様な用途でコンピュータを利用し出すと、ソフトウェアはそれが収益となるため、独占物になっていった。実際にソフトウェアを書くほんの一部のコンピュータ・ユーザだけに、一つの企業内でソースコードにアクセスし、修正する権利を制限することで、利益をあげるようになった。

独占ソフトウェア開発の時代に OSS が成功した分野として、インターネットの創造がある。インターネット上で必要とされるプログラムは、ほとんどの割合でオープンソース・ソフトウェアである。Apache ウェブサーバ、Sendmail メール転送プログラム、そしてインターネット・アドレスを管理する BIND といったものは全てオープンソースであり、それぞれの分野を支配している。

ソフトウェア開発の初期に携わった多くの開発者は、協力や協調といった感覚が失われてしまったと感じ、またソフトウェアの品質が結果として被害を被るだろうと考えた。そうした人達の中に Richard Stallman という人がいて、彼は1983年に、協力的で、オープンなソフトウェア開発を促進するために、フリーソフトウェア財団 (Free Software Foundation : FSF)[11]を設立した。今日も FSF は、オープンソース界の主導権を握る中心的存在である。

OSS の再興となったもう一つの重要な出来事として、1991年にフィンランドで大学生だった Linus Torvalds が、Unix オペレーティング・システムのオープンソース版を作ったことが挙げられる。Linux という名のこのオペレーティング・システムは、現在では350万台のサーバー・オペレーティング・システムのうちの 7.5% 以上を占める(Microsoft Windows NT は 36%)成熟した製品である[12]。Linux は世界的に使われている5つのオペレーティング・システムの中に入る。多くの人達が、Linux は Windows NT や他の独占オペレーティング・システムよりも高速でエラーが少ないと考えている。ほぼ全世界にわたる開発者の大集団のみならず、いくつかの営利企業も[13]、Linux の維持、更新を行っている。Linux の開発は大変迅速に行われる。熱心に開発作業が行われる時期には、一日に一度新しいバージョンがリリースされることもあるくらいだ。新機能が加わる際には、開発者コミュニティに綿密に調べられ、あらゆる種類のエラーが見つけられ、訂正される。Linux の新しいバージョンは、独占ソフトウェア開発において普通である月単位、ましてや年単位ということもあるテスト期間に比べ、数週間足らずで出荷できる品質に進化することもしばしばある。

1998年の三月、最も人気のあるインターネット・ブラウザのメーカーである Netscape Communications が、ブラウザのソースコードを公開し、インターネット・コミュニティからの変更や改良を受け入れると発表して、ソフトウェア・コミュニティに衝撃を与えた。本質的に、Netscape のブラウザは独占物からオープンソースに変わったのだ。この決定により、間違いなく Netscape は、オープンソースモデルを取りいれた、著名で、大衆市場にソフトウェアを売る最初の企業になった。Netscape はじきに America Online によって吸収合併されてしまうことになるが(訳注:この論文は吸収合併の前に書かれたものである)、Netscape が公開したブラウザのソースコードは、(独立した存在である mozilla.org を通して)永久にオープンソース・コミュニティのものであるし、独占物の状態に逆戻りすることは決してありえない。


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初出公開: 2000年10月02日、 最終更新日: 2000年10月20日
著者: Mitch Stoltz
日本語訳: yomoyomo (E-mail: ymgrtq at yamdas dot org)