オープンソースを巡るエゴの問題

著者: Christian Hammond

日本語訳: yomoyomo


以下の文章は、Christian Hammond (chipx86) による Open Source's Ego Problem の日本語訳である。

本翻訳文書については、結城浩さんに誤訳の指摘を頂きました。ありがとうございました。


この文章は、多くのオープンソース支持者に見られる態度について考察したものである。僕の意見を批判する人がいるに違いないことは分かっているが、リプライをする前にどうか文章を全部読んで少し考える時間を取られることをお勧めする。

オープンソース・ソフトウェアのユーザ、開発者として、僕は電子メール、IRC、インスタントメッセージ、フォーラムを通じて、また大学においてたくさんの人達に接している。Linux や BSD などを試してみるようなコンピュータに深い興味を持つ人達に多い傾向があるとはいえ、オープンソースが認められつつあるのを見るのは喜ばしいことだ。ただ残念なことに、僕はオープンソース・コミュニティにかなり大きな問題が存在するということも指摘してきた。この問題は解消される方向には進んでおらず、むしろ大きくなりつつあるように思える。

多くのユーザと開発者が、オープンソース、特定のディストリビューションやオペレーティング・システム、そして特定のアプリケーションについて過度に利点を主張するようになり、宗教的になりつつある。ときどき「聖戦(holy wars)」とやらに巻き込まれたりするだろうから、読者も皆このことに気付いていることと思う。しかし、我々が一般の人達にもオープンソースを普及させたいと願うのなら、これこそが我々皆が止めるべく取り組んでいかなくてはならないものなのだ。

あなたはオープンソースのために何をしてきただろうか。あなたは開発者? ならば、オープンソース・ソフトウェアを開発することにより貢献してきたことになる。あなたはユーザ? 結構、あなたもまた、オープンソース・ソフトウェアを利用することで貢献してきたと言える。ユーザと開発者が多くなればなるほどコミュニティは大きく育つのだから、それは素晴らしいことだ。

さて、あなたはオープンソースに損害を与えるようなことを何かしたことがあるだろうか。ディストリビューション、テキストエディタ、Linux 対 BSD 対 Windows、そうでなくてもそれらに似たようなことでフレームウォーに関わってしまったことがあるだろうか。もしあるなら、あなたはオープンソースに損害を与えたことがあるわけだ。あなたが関わったフレームウォーそのものはたいした問題ではないだろう。しかし、もしオープンソース・コミュニティにそういった評判が立ち出したら――僕は既にそういう評判があると思うのだけど――あなたはオープンソースに損害を与えるのに荷担してしまったことになる。

簡単な例を示そう。中小企業が自分達のシステムを Windows から Linux に切り替えることを決めたとする。彼らはちょっとした調査を始め、フォーラムや IRC などのオンライン上のどこかで質問をするだろう。そこで彼らは何を思い知るだろうか? こうした場にいるユーザが特定のディストリビューションの長所と短所の両方について語ってくれることがあるだろうか? 心の広い親切な人も一人か二人いるかもしれないが、たいていはちょっとした聖戦がおっぱじまる。

「Debian を使いなさい! Debian は他のものより優れている。apt-get があるのだから」

「いや、Gentoo を使おう! 何も予めコンパイルされてないから高速だし」

「Mandrake が使いやすいって!」

これらは僕が何年にもわたって見聞きしてことの数例に過ぎない。ただ、それで済むなら大きな問題にはならない。こうした意見は、中小企業の社長がディストリビューションを選ぶ際に必要とする可能性のあるものについて少しも考慮していないが、ともかくもいくつかのディストリビューションの名前とそれらの利点を簡潔に挙げてはいるのだから。

それだけなら問題はないのだけど、大抵どっちのディストリビューションが優れているかということでつまらぬ小競り合いに発展してしまう。侮辱の言葉が飛び交い出し、皆がおかしくなってしまうことがよくある。そうしたものは中小企業ユーザの助けにならないし、彼らは恐らく、オープンソースのユーザは幼稚だと考えるようになるだろう。そこまではいかないかもしれないが、その中小企業の社長が別の公開フォーラムでまた質問すれば、彼(彼女)は同じ反応を受けることに間違いなく気付く。

オープンソースを発展させたければ、8歳のガキのような振るまいでその可能性を宣伝すべきではない。何を使うべきかといった質問、もしくは答えようとするとそうしたことに関する意見が入りこむ可能性のある類の質問に出くわしたら、その質問者はそれぞれの選択肢の長所と欠点を知りたがっているということを心に留めなくてはならない。彼らはどっちが優れているかということに関するあなたの個人的な意見を求めているのではないのだ。あなたが意見を述べれば、あなたを支持する人達も出てくるだろうし、あなたは非難する人達も出てくるだろう。しかしそれでは質問者をポジティブな形で納得させることはできない。

僕は開発用とデスクトップ用に RedHat と Debian を毎日使っている。僕はまた Windows XP も使っている。つまり、僕は Windows を嫌う多くのオープンソース・ユーザが抱える問題全部について語ることができるのだけど、それはあまりやりたくはない。Windows が今ここに存在し、大きなユーザベースを持ち、そして特定の作業をやるのに使わざるを得ない場合があるといえば十分だろう。僕が特にこの文章で述べておきたいのは、RedHat ユーザと Debian ユーザの間で特に見られる態度である。

Debian ユーザには、Debian こそ誰もが使うべきディストリビューションだと考えるクセがある。Debian は強い思い入れを抱くに値する優れたディストリビューションなのかもしれないが、誰もが Debian を使っているわけではないこと、また誰もがそれを使いたいと思うわけではないことを忘れてはならない。Debian が他より優れているということはないのだ。それはどのディストリビューションについても言えることである。どれにだってそれぞれ長所と欠点がある。それがオープンソースや Linux の美点だろうに。

特に僕自身 RedHat を使っているので、僕は多くの Debian ユーザが RedHat ユーザをいびるのを目の当たりにしてきた。よくあるのが、Debian を使わないなんて RedHat ユーザには分別というものがない、という態度である。いろんな人達が僕に Debian は他のどのディストリビューションよりも優れていると言わせようとしてきた。もう一度言うが、連中は間違っている(この文を読んで僕を非難する前にこのことを真剣に考えてみていただきたい)。Debian ユーザは Debian のことになるととても饒舌になる。それは結構だけど、その際にユーザや他のディストリビューションをけなしたりからかったりするべきじゃない。

僕は Debian を非難してるんじゃない。同じような態度を Gentoo、Slackware、Mandrake、そして RedHat ユーザにも見てきた。Debian ユーザの態度は、僕がほぼ毎日目の当たりしているものの一つに過ぎない。

この問題は、テキストエディタのユーザの間でも起こる。どうしてウィンドウ・マネージャのようなものよりもテキストエディタを巡って頻繁に「聖戦」が起きるのだろう? 僕にはどうにも分からない。ここでも繰り返して言う必要はないだろう。だってそうだろう、どれだって仕事をちゃんとこなすじゃないか。

僕は特定の誰かを責めているのではないし、ましてや特定のグループ、企業を名指ししているのでもない。みんながフレームウォーに巻き込まれるわけではないけれど、実際多くの人達が巻き込まれている。ことこれに関しては僕にも経験がある。そうしたトピックが持ちあがると会話を避けようと努める話題もあるけど、それでもやはりフレームウォーに巻き込まれてしまうこともあるんだ。僕はこれやあれを使うのは間違っているとは言わないが、あえて首を突っ込むことで緊張を増し、言い争いや他のユーザによる批判をうんでしまう。

僕がこの文章で述べたことをどうか考えていただきたい。次に誰かが特定のディストリビューションやアプリケーションで問題に遭遇したら、別のものを使うべきだなんて言わないようにしよう。そうでなく助けてあげようよ。コミュニティの一部となり、問題が解決するよう助けようよ。もし Foo 対 Bar の議論に巻きこまれそうなら、それが終わるまで離れるか無視するかしよう。もし我々がノイズを減らし、協調性のあるところをもっと示すことができれば、オープンソースのイメージをおおいに良くするに違いないのだから。


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初出公開: 2002年11月05日、 最終更新日: 2004年07月10日
著者: Christian Hammond (chipx86)
日本語訳: yomoyomo (E-mail: ymgrtq at yamdas dot org)