プライバシーの不変の価値

著者: Bruce Schneier

日本語訳: yomoyomo


以下の文章は、Bruce Schneier による The Eternal Value of Privacy(初出は Wired News 2006年5月18日)の日本語訳である。


プライバシーを擁護する人たちに対する――ID チェック、カメラ、データベース、データマイニング、その他の影響範囲の大きい監視法案に賛成な人たちによる――もっともよくある反論は以下のものだ:「何も悪いことをしていないなら、どうして隠さなければならないの?」

多少頭の良い人ならこう答える:「僕が何も悪いことをしていないなら、君には僕を監視する理由がないだろう」「政府が何が悪いかを定義するからで、しかも政府はその定義を変え続けるから」「君が僕の情報に何か悪いことをやらかすかもしれないだろ」こうした切り返しの問題は――それらは正しいのだけど――プライバシーは悪いことを隠すためにあるという前提を受け入れていることだ。そうではないのだ。プライバシーは人間に本来備わっている権利であり、尊厳と敬意をもって人間の条件を保つのに必要なものである。

二つのことわざがそれをもっとも良く言い表している:Quis custodiet custodes ipsos?(「誰が番人を監視する?」)と「絶対的な権力は絶対に腐敗する」だ。

リシュリュー枢機卿は、有名な「もっとも正直な男が書いた六行の文章が私に渡されたとしよう。私はそのなかにその男を縛り首にするに足る何かを見つけるだろう」という言葉を言ったとき、監視の価値を理解していた。誰かを十分長く監視していれば、何か逮捕――そうでなくても脅迫ぐらい――に足るものを見つけるだろう。プライバシーは、それがなければ監視情報が悪用されてしまうから重要なのだ。たとえば情報を覗いたり、マーケティング担当者に売ったり、政敵をスパイしたりすることだが、これはある時点で誰の身にも起こりうる話である。

プライバシーは、たとえ監視されているときに何も悪いことをしてなくても、権力の地位にある者による悪用から我々を守ってくれる。

我々はセックスしたり、トイレにいくとき何か悪いことをしているのではない。我々は熟考したり話をするためにプライベートな場所を探すとき、何か故意に隠しものをしてるのではない。我々は日記をつけ、プライバシーの保たれたシャワーの中で歌い、秘密の恋人に手紙を書き、そしてそれを焼いたりする。プライバシーは基本的欲求なのだ。

憲法の起草者にとってプライバシーが常に脅かされる未来は縁のないことだったので、プライバシーを明白な権利として言い立てることを彼らは考えつかなかった。プライバシーは人間の存在や理念の高潔さに付随していた。言うまでもなく、自分の家で監視されるのは不当だった。とにかく監視は、無作法すぎて当時の紳士にしてみれば思いもつかない行為だったのだ。監視するのは有罪判決を受けた犯罪者であり、罪のない市民ではなかった。市民は自分の家を守った。それは自由という概念の本質である。

あらゆることを監視されたら、我々は訂正、審査、批判、あるいは自身の唯一性が盗まれる恐怖に常に晒されることになる。どんな権威も我々のかつてはプライベートで無害な行為に注目するようになることで我々は監視の目に縛られた子供となり――現在、あるいはいつか未来に――自分たちが残した痕跡に連れ戻されて我々を巻き込むのに常に脅えることになる。そうなれば我々は個性を失う。我々の為すことはすべて監視でき、記録できるからだ。

我々のうちどれくらいが、過去四年半に自分たちが盗み聞きされているかもしれないのに急に気付いて会話を止めたことがあるだろう? 電子メールやインスタントメッセージのやりとりや公共の場での会話でもあったかもしれないが、おそらくは電話の会話でだろう。もしかするとそのとき話題にしてたのはテロリズムか、政治か、あるいはイスラム教か。我々は自分たちの言葉が文脈を離れて受け取られるかもしれないと一瞬怖くなって急に言葉を止め、それから自分たちの被害妄想を笑い、話を続ける。だが、振る舞いが変わるにつれ、言葉も微妙に変わる。

これこそが、我々のプライバシーが奪いさられることによる自由の喪失である。これこそが東ドイツにおける生活、サダム・フセインのイラクにおける生活なのだ。つまり自分たち個人のプライベートな生活に常に光る目を許容した未来なのだ。

あまりにも多く間違って議論が「セキュリティ対プライバシー」とみなされている。自由対管理が正しい言葉の選択である。外国からの物理的な攻撃の恐怖の元で生まれたものであれ、絶え間ない国内当局の監視の元で生まれたものであれ、圧政は圧政だ。自由には、侵入されることのない安全、プライバシーつきの安全が必要なのだ。広範な警察による監視は、警察国家の定義そのものである。そしてそれこそが、我々に何も隠すものがない場合であってもプライバシーを擁護すべき理由なのだ。


[翻訳文書 Index] [TOPページ]

初出公開: 2009年12月14日、 最終更新日: 2009年12月17日
著者: Bruce Schneier
日本語訳: yomoyomo (E-mail: ymgrtq at yamdas dot org)