明日はてなに吹く風は


 先日、株式会社はてなよりTシャツが届いた。はてなのグリーン電力化への取り組みの一貫として販売されたものである。

 はてなの風力発電への肩入れについてのワタシの感想は、「うーーーーーぅん、いいんじゃないですか?」というものである。この手の話は一筋縄にはいかない。本文章は、その「うーーーーーぅん」という唸りに含まれるいろいろな想いを言語化するものである、と書くと大げさだが。

 はじめに書いておくと、ワタシは「地球に優しく」といったエコ的お題目に興味はない。というか、はっきりいえば好きではない。これはそうしたお題目を唱える人たちの多くに共通する(と当方が感じる)気質への違和感によるのだけど、しかしこの星で生きる以上、地球環境の問題から逃げられないのも確かである。

 最近では多くの企業が環境への取り組みを明言するよう社会的に要請されており、IT 企業も例外ではない。その企業のサービスの利用者としては、できるだけ「筋の良い」技術に肩入れしてほしいと思う。

 はてな代表取締役社長である近藤淳也さんは、メールマガジン『週刊はてな』6月15日分において、提供されるサービスの楽しさと対照をなすインフラの不健康な佇まいについて語っていて、これは当方も感覚的によく分かる。

 実はワタシもはてなのサーバルームに入ったことがあるのだが、当時(2004年9月)はてな特製サーバはラック縦一列(か二列)を占めていたと記憶する。データセンターの類に足を踏み入れたことのある人ならご存知のように、はてなのサーバルームもやはりエアコンが威圧感のある音を立てて唸りまくる暗くて寒い長居をしたくない空間であった。あれから大分経ち、ユーザ数とサービス数の増加を鑑みれば、サーバ数も当時とは比較になるまい。

 Google がサーバの消費電力増大を問題視しているのは知られるが、ことこれに関して日本の社会インフラのほうが不利となれば、日本の IT 企業も電力確保を戦略的に行う必要がでてくるわけだ。


 ただ誤解していけないのは、今回のはてなの取り組みは、自前の発電装置により電力を賄うことを目的とするものではないことである。

 グリーン電力化への取り組みの発表を受け、はてなの最高技術責任者である伊藤直也さんは「グリーン化のやつ」という文章を書いている。文章の後半を読めば伊藤さんの意図は理解できるが、偽善かどうかに言及する意味が分からない。

 重要なのは善悪の問題ではなく、風力発電がどの程度実用的で経済効率性があり、そしてそれが持続可能なものかどうかだろうに。

 いくら善意に基づこうが、崇高な理念に基づこうが、実用性が乏しい、つまり経済効率性が低い技術は採用には値しない。ことこれが IT の分野であれば、伊藤さんも判断を誤ることはないだろう。地球環境問題への取り組みにしても、それがすべてとは言わないが、基本は同じだ。地獄への道が善意で敷き詰められている実例はいろんなところで見ることができる。

 風力発電は、太陽光発電、水力発電と並ぶ再生可能エネルギーの代表である。これらだけで電力を賄うことができれば、というのは(ワタシを含む)多くの人が願うことだろう。しかし、現実はそうなっていない。効率の面で化石燃料や原子力による発電に劣っていることが容易に推測できるわけだが、それはどの程度なのか、現在は劣るとしても将来的にコスト効率の改善の余地はあるのか、そして風力発電を長期的に見た場合、設備や廃棄物が逆に負担になる可能性はないのか――これが重要なのだ。


 はてなが委託する日本自然エネルギー株式会社のことはこれで初めて知ったくらいで、当方もこの手の事業に関する知識はないに等しい。今回の風力発電への肩入れの話を聞いたとき、つくばの発電しない風車の話を連想して少し嫌な感じがしたが、件の委託先がそうした無定見なプランを立てたり非効率な仕事をしないことを願う。

 今回の発表を機にいろいろ考えるうちに、当方の風力発電についての知識は、結局のところ一冊の本に行き着くことに今更ながら思い当たった。それはビョルン・ロンボルグの『環境危機をあおってはいけない』である。

 この本は世界的に相当に論議を呼んだ本で、その一部は訳者によるサポートページから辿れるが、ろくに読まずにこの本を環境保護運動罵倒本だとか、安易な現状肯定本だと決め付けている人を見るとげんなりする。この本を読んで問題に思うところは当方も読書記録に書いているのでここでは繰り返さないが、地球環境問題の平均像を公式統計に基づいて概観するという目的はちゃんと果たしている本だと思う。この本に対する日本の研究者によるしっかりとした批判が奥修氏によるものぐらいしか目に付かないのは寂しい話である。

 良い機会なので、以下『環境危機をあおってはいけない』の第11章「エネルギーは枯渇するか?」における「風力エネルギー」の項(p.227-228)全文を引用しながら、当方が上に書いた問いに対して風力発電がどの程度の位置にあるか見ていこうと思う。読みやすさのため、文中の注釈は外させてもらった。文中の数値などに興味をもたれたら、是非『環境危機をあおってはいけない』に直接あたっていただきたい。また風力発電についてネット上で調べものをするなら、Wikipedia の風力発電のページが充実しているので、ここを基点にして各種情報にあたるのがよいと思う。


 風力エネルギーはもう何千年も利用されている。紀元前から、中国やインド、ペルシャの古代文明は水の汲み上げや穀物の製粉に風力を使っていた。すでに中世初期でさえ、風車はヨーロッパ中で知られた技術だし、風車は蒸気機関の到来までずっと主要エネルギー源だった。自前の石炭供給のないデンマークのような国では、風車はずっと中心的な役割を果たし続けた。一九一六年だけでも、デンマークは新しい風車を一三〇〇基も建設している。

 歴史的に見て、現在まで風力発電に最も力を入れている国は、奇しくもロンボルグの祖国であるデンマークである。

 『デンマークのユーザー・デモクラシー』(新評論)の第7章「地方環境エネルギー政策」において朝野賢司氏は、ロンボルグのエネルギーに関する主張に対して、

  1. 市場に対する極端な楽観視(市場参加者は短期的な視点で行動する)
  2. 費用対効果分析の限界に対する配慮のなさ
  3. 現実の再生可能エネルギー技術の発展を踏まえていない

という三点を批判し、ロンボルグの主張を受け入れることによりラムスセン政権の環境・エネルギー政策の優先順位は後退し、デンマークが1970年代以降実現してきた「エコロジー的近代化」が転覆したと説いている。政策決定については詳しい事情を知らないのでコメントできないが、朝野氏が挙げる批判点にはあまり賛同できない(強いて挙げれば二点目ぐらいか。「限界」と言われればねぇ…)。三点目に関しては、例えば以下の引用部のように具体的な数字による議論が常に積み重ねられていると思うがどうだろう。

 オイルショックは風車に対する新しい研究上の関心をかきたてて、それ以来すばらしい成果と進歩が実現してきた。一九七五年以来、価格は九四%という目の飛び出そうな下落ぶりで、生産性は一九八〇年以来年率五%で上昇し続けている。世界的には、風車が全エネルギー消費の半分以上をカバーすることも不可能ではないと推定されているけれど、このためには一億基くらいの風車が要る。風力の世界最先端にいるデンマークですら、風力発電は一九九八年の総電力の九パーセントしか生産していない。アメリカでは、風車は一九九八年の総発電量のたった〇.一%でしかない。

 風力発電の価格の下落率は見事で、生産性も上昇し続けているが、いきなりこれを発電方式の中心に据えるのは無茶なようだ。

 デンマークの総電力における風力発電が占める割合については、ウェブを調べてみるとサイト毎に微妙に数字が違っていて悩ましい。「「世界風力地図」が示す風力発電の大きな可能性」という記事には、「デンマーク風力発電産業協会によると、デンマークでは消費電力の約20%を風力でまかなっている」というくだりがあるが本当かしら。

 でも、国の電力需要の相当部分を風力でまかなおうとしたら、問題が出てくる。居住地の近くだと、風車の騒音が問題になるだろう。さらに、効率をあげるには、風車は開けた土地に設置する必要があって、そうなるとすぐに景観破壊につながる。唯一の長期的な解決策は、風車を海上のはるか沖合に作ることだ。美的な問題はほとんど皆無になるだけでなく、そのほうが風車も効率が五割増しくらいになる。

 当方が「地球に優しい」といった言葉が嫌いなのは、そうした口当たりの良い表現が、物事には常に光と影があるという当たり前の事実を隠蔽する危険性を感じるからで、風力発電機がかなり場所を取り、しかも騒音問題があるというのを知らない人もいるのではないだろうか。風車を設置するのに必要な土地やその騒音については、件の Wikipedia のページを参照いただきたい。

 デンマークが海上風力発電システム建設に力を入れているのも上の文章を読めば納得できる。

 風車を批判する人々は、それがまだ儲からないと指摘する。生産にかなりのエネルギーが必要で、さらには鳥を殺すという指摘もある。すでに見たとおり、風車はまだ完全に競争力を持っていないけれど、でもたぶんコスト的に三‐五割高いくらいで、化石燃料を使い続けるのに比べた社会コストまで含めて考えたら、差はさらに詰まるだろう。長期的には、まちがいなく競争力を持つし、化石燃料より安くなる可能性だってある。

 当方の推測通り、現時点で風力発電は経済効率性において化石燃料に勝てないが(コストは最大五割増と見ればよいか)、長期的には競争力を期待できるのが分かる。

 風車自体を作るのにかなりのエネルギーが要る、という反対もある。鉄を掘って、溶かして、圧延する必要があり、風車自体も輸送して、最終的には廃棄が必要になる。でも長期的なエネルギー収支を見てやると、いまの風車は自分の生産に要した電力を、たった三ヶ月以内で回収できてしまう。

 この本の良いところは、こうした費用対効果分析を随所で行うところだ。風力発電に関しては、導入コストはその生産性と比べれば過大ではなく、後になって設備の廃棄は必要としても、それ以上負債が残るということも特になさそうだ。

 風車が鳥を殺すというのは事実だけれど、海上でならこの問題はぐっと小さくなる。デンマークでは、毎年風車に巻き込まれて死ぬ鳥が三万羽と推定される。アメリカではこれが七万羽くらいだ。かなりの数に思えるかもしれないけれど、ほかのところで死ぬ鳥の数に比べたら大したことはない。デンマークで車にぶつかって死ぬ鳥だけでも毎年一〇〇万羽はいるし、オランダだとこれが二〇〇‐八〇〇万羽だ。アメリカでは、車は年間五七〇〇万羽の鳥を殺し、建物の窓ガラスにぶつかって死ぬ鳥は九七五〇万羽いる。イギリスでは、飼い猫が毎年哺乳類を二億匹、鳥を五五〇〇万羽、は虫類や両生類を一〇〇〇万匹殺している。

 「週刊金曜日」みたいなの雑誌だと、「風車立てたら鳥が死んじゃった」レベルで話が終わってしまうのだろうか。確かに鳥が風車に巻き込まれて死ぬのは嬉しくない話だし、アメリカではこれが理由で環境団体が風力発電に反対するという直感に反した事態も起こっている()。

 ここで重要なのはリスクの度合いを、つまりはバランスと優先度を見極めることである。この場合、風力発電機を設置する場所を最初に考慮するなどの前準備は必要としても、それによる動物の被害は、風力発電そのものを取り止める要因までにはならないと判断できる。


 以上の通り、『環境危機をあおってはいけない』は、慎重に問題点を挙げながらも、風力発電に対して将来的な競争力を期待しているのが分かる。で、ここからが重要なのだが、この議論は日本にもそのまま適用できるのだろうか?

 できないね(笑)

 石炭資源が乏しいというのは日本もデンマークと共通するが、まず土地の問題が立ちはだかる(デンマークでは環境問題に対する地主側の理解もあると聞くが、日本にはそれがない)。それなら洋上ならどうか。残念なことに、日本の場合、(欧州ではあまり起こらない)台風などの暴風雨で発電機が破損するコストを考慮しないといけない。Wikipedia のページにもあるが、「風力発電機の最大の敵は強すぎる風」なのだ。

 しかし、である。

 はてなが最終的に発電を委託するのは、北海道稚内市の稚内市水道事業風力発電所である。ワタシも詳しく調べたわけではないが、北海道の人口密度を考えれば、少なくとも本州よりは用地確保とそれに付随する騒音問題も小さいだろう。しかも北海道なら、台風の影響も小さい。

 つまり、風力発電は付随する問題はあるが、欧米では将来的には競争力を期待できる発電方式である。だが、日本にはそのまま通用しないのではというのが当方の見解だが、それでも北海道という地理性、将来的なコストダウンをコミにすれば、まぁぼちぼちちゃいますの? ……という思考の流れが冒頭に書いた「うーーーーーぅん」の中身なのである。

 言うまでもないが、株式会社はてな代表取締役社長である近藤淳也さんにしてみれば、上の議論は前提レベルの話だろう。そしてその上で費用便益分析を行い、いくつかの選択肢の中から今回の決定を下したに決まっている……よね、近藤さん?


 最後に付記すると、今回ワタシがはてなからオリジナルTシャツを購入したのは、今回の決定に心から賛同し、グリーン電力化バンザイ! と思ったからではまったくなく、何より風車をモチーフにしたTシャツのデザインが秀逸だったからである。今実物を手に取り、その印象が間違っていないことを嬉しく思う。池田拓司さんをはじめとするスタッフの優れた仕事をこの場を借りて称えたい。素敵なTシャツをありがとう。


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初出公開: 2006年07月18日、 最終更新日: 2006年07月21日
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