プロジェクト杉田玄白 --開墾を待つノウアスフィア、もしくは或るしがないプログラマが翻訳に手を染めた理由--


 このコーナーでは珍しく、個人的なことを書いてみようと思う。

 当サイトをを立ち上げる際に、こうしたい、こうありたい(もしくはこれはしたくない、こうはなりたくない)といった規範が一応あった。例えばサイト運営の点でいうなら、週に一度は更新するようにする、掲示板は設けない、派手な画像・背景色は使わずテキストブラウザでも支障なく読める HTML を書く、といったことである。

 以上は Web ページの外枠についてのことだが、そこに入るコンテンツに関しては、大きく言うと二つの目標があった。

 キーボードを叩きながら思わず笑ってしまった。クラーク先生も「少年よ、太鼓を叩け」と言っておられるくらいだから太鼓を叩いて自分を鼓舞するのはいい(違うって)。だが、目標と現実との余りの乖離には笑うしかない。もう少し自分の才能と相談して目標を立てるもんだよ、全く。


 質的なことには目をつぶるとしても、サイトを立ち上げてそう経たない内に、出来る限り頻繁にやろうと思っていた更新もままならなくなってしまった。仕事のせいで文章を書く時間が取れなくなった、というのではない。時間はあったのだが、文章を書く精神状態になれなかったのだ。

 本当に今年(99年)は最低な年だった! と僕は九月あたりから言い続けている。そう言うことで99年という年を過去に追いやってしまいたいのだ。公私に渡り今年は凶事続きの人生最低の年だった。当たり前だがその殆どは自業自得、の一言で済まされることの積み重ねなのだけど。

 ただ原因はどうであれ、僕は躁状態とまではいかなくても、それなりに気分が高揚してないと文章が書くことができない。鬱状態のまま書き上げることができた文章など一つもない。


 その頃、山形浩生氏が青空文庫への不満とともに、著作権フリーの文章をどんどん翻訳して公開していこうという「プロジェクト杉田玄白」の立ち上げを宣言する文章を見て、僕は大変な衝撃と興奮を覚えた。

 衝撃はそのコンセプトに対して、というより実は青空文庫への不満についての方にあった。別に青空文庫の工作員でもないのに、痛いところをつかれたという思いでひどく動揺したのを覚えている。青空文庫についての文章ではないのでこれ以上詳しいことは書かないが、投げ銭システム(とそれに噛み付いた言説)などの動きを含め、青空文庫をこのコーナーでも是非取り上げたいと思っている。

 興奮というのは、山形浩生の考えの底流にオープンソースの思想、並びにバザール方式の利用の考えがあったためだ。そして個人的には、これまで散々お世話になってきたフリーソフトウェア、オープンソース界に(実際にフリーソフトウェアを書くのでなくても)このラインでも僕なりの貢献できるかも、と目の前の霧が晴れた思いだった。実はそれまでもボチボチ翻訳はやっていたのだが、自覚的ではなかった。


 当時は Linux が急速にシェアを拡大し(この文章を書いている時点でもそうだが)、Eric Raymond「伽藍とバザール」に始まる論文等によってその理論モデルも整備され、オープンソース運動が盛り上がった時期でもある。

 と同時に様々な軋轢も生じた。かつてからの Richard Stallman 流の「自由」にこだわる思想との軋轢、企業がオープンソースに関わってくる際に生じるハッカーコミュニティからの反発などだが(思いっきり大雑把に書いてますのであしからず)、そうした状況下でハッカーによって書かれた雑文の類がちょうどニッチになっていた。僕はそこに目をつけた。

 Linux 界にも JF という優れたプロジェクトがあるし、大部の論文を訳してしまう山形さんのような人もいる。しかし、もう少し非技術的で俗世寄りの短文が見逃されていたように思ったのである。勿論以前からそうした文章を地道に翻訳している人もいたのだが、良く言えばコミュニティに何でもいいから貢献したいという強い思い、悪く言えば翻訳という横道から Linux コミュニティに割り込んでいこうという狡猾さが僕の中にあったのだ。


 そうした文章を翻訳することで、プロジェクト杉田玄白の趣旨に口だけで賛同するでなしに実績を残せるし、オープンソース界に鼻毛程度でも貢献ができ、そして新作文書を書かなくても更新を確保できる、という一石三鳥となったわけだ、理屈の上では。

 しかし、ここまで次から次に凶事が続いて翻訳ばかりやることになるとは思わなかった。そのうちに、当サイトをリンクする人の多くが「オープンソース関連の翻訳をやってる」といった文句を入れるようになった。僕はそうした文を読む度に何ともいえない違和感と滑稽さを感じてしまう。勿論のことそれに不満があるというのではない。僕が翻訳をやりだした理由が上の通りだからである。皮肉なものだ。

 暗い精神状態で訳出作業をやる場合が多かったから、それ自体を楽しめた記憶は余りない。ただ最近では ESR の「ニコライ・ベズロコフ氏への返答」などかなり楽しんで訳することができた。これは訳文の出来にも少しばかり反映されていると思う。


 あと僕自身英語を読解する能力が長けているわけではないことも書いておかなくてはならない。というか当方は留学経験はおろか海外に長期滞在した経験もない一介の技術者に過ぎない。スピーキングに関しては、ロックとモンティ・パイソン以外の話題では流暢に喋れたためしはない。はっきりいって誰にでもできるのだ、あの程度なら。そしてそれを僕が実際にやったというまでのこと。

 だが、実際にやった、といっても僕一人の力でではない。「リバータリアンがビル・ゲイツを愛せない理由」における福田さん、「管理職のためのハッカー FAQ」における Kawai さんに代表される読者の方々の助けがあってのことである。

 「プロジェクト杉田玄白」に登録されてから typo や誤訳の指摘が少しあったが、これは嬉しい効果だ。翻訳を公開する以上それがクズであってはならない。ただ当方の英語力(日本語力)には限界があるので不備は散在しているだろう。これからも遠慮なく指摘していただきたい。


 そして、である。できればこの文章を読んでいる方もプロジェクト杉田玄白に参加してくれれば、と思うのだ。勿論翻訳をしてそれを登録するのが一番なのだが、登録作品のデバッグでもいい。参加の仕方は色んな形で可能な筈である。

 翻訳を登録する際にはそれなりの覚悟がいるのは確かだ。しかも翻訳をやることで得られる直接的なメリットなんてものは全くない、と言っていいだろう。しかし、ここでもやはりノウアスフィア理論が成立すると僕は思いたい。富田倫生さんによる「木の葉のお金」「投げ働き」という言葉を用いた青空文庫についての解説も是非読んでいただきたい。

 しかも提唱者のバックグラウンドの広さが幸いして、文学でも童話でも科学でも哲学でも経済学でも無論フリーソフトウェア関係でも何でも場違いにはならない雰囲気がある。ノウアスフィアは限りなくひろがっているではないか!


 ちょっと教条的になりそうなので、再び個人的な話に戻る。僕に関して言えば、翻訳の動機に山形浩生その人への敬愛が真っ先にあったことは認めざるを得ない。

 今年の六月、僕は自らの「不徳の致すところ」によって神経衰弱になりそうだった。色んな人に随分と醜態も晒した。Web の更新はおろか、メールすら書けなくなっていた。何かしなくては、と藁にすがる思いで取り組んだのが実は Halloween FAQ の翻訳なのである。何とか訳し上げ、山形浩生に完全に波長のおかしくなった文章とともにメールを送り付けた。今考えても恥ずかしく思うし、第一大馬鹿である。色々な意味で。

 しばらく経って山形さんから更新を通知するメールが届いた。「ちったぁ元気になりましたか。」という言葉が添えられていた。僕は何度も何度も何度もこの一文を読み返した。

 しかし、訳文はすっかり差し替えられていた(笑)。やはり精神状態が訳文のレベルにちゃーんと影響を及ぼしていた。それでも山形さんは僕のクレジットを残してくれていた。もう二度とこういうことはしてはならない。

 今年の10月に入り、僕は Halloween V の翻訳を終えた。今度はほぼ完全に僕の訳文が残った。そしてこれも一つの巡り合わせなのだろう、直後にプロジェクト杉田玄白が本格始動モードに入った。僕は YAMDAS 内の翻訳文書も参加作品に加えてほしいと依頼した。すぐに山形さんから「数日中に正式参加に入れます」との返事をいただいた。


 しかし、これが一向に登録されない。山形さんの多忙ぶりは存じているし、当方は特に用もないのに氏にメールを送るような友人でも知人でもない。

 一月近く経ち、さすがに当方も我慢できなくなって、山形さんにメールで尋ねてみた。訳文のレベルが低いならどんなコメントが付いても結構ですし、面倒だったらINDEXページのみにリンク張って「yomoyomoによるオープンソース関連翻訳文書」とでも紹介してくれればいいですよ、と。

 結果から言うと、単にすっかり忘れていただけのようだ。まあ、人生そんなもんだ。しかし、「INDEXページのみにリンク張って」という当方の提案については、「yomoyomo訳、というのは多くの人にとってまったく関心のない」ことだ、とのことで一蹴された。

 そりゃその通りだよ! そんなことは僕のような馬鹿にだって分かる道理だ。彼の労を減らそうと気配りしたつもりが墓穴を掘ったわけだ。「自分の記名性を優先していると思われるのは大変不本意」とぐっとこらえて返事したが、自室の椅子を一度思い切り蹴りつけないとどうしても腹立ちがおさまらなかった、というのはここだけのナイショの話。しかしその山形さんの判断のおかげで正式参加作品リストは yomoyomo だらけになっちゃったぞ(笑)。


 「気配り」や「優しさ」を装いつつ実は保身でしかないニホンジン的な態度を山形浩生が嫌悪しているのは、「リンクするなら黙ってやれ!」を読むまでもなく理解しているつもりだったが、やはり当方も悪しき文化に大部染まっているのだな、と認識させられた。

 プロジェクト杉田玄白に参加される方に僕がアドバイスできるのはこの点だけだ。山形浩生に遠慮なんか必要ない。やることをやれば率直簡便にそれを主張すればよい。逆に「これぐらい察してくれるだろう」などの甘えた態度は取らないことだ。ノウアスフィアの開墾、その点でのみ我々は繋がればよいのだ。それだけで十分なのだから。

 そして一刻も早く、yomoyomo のクレジットが埋もれるくらいの参加作品が登録されれば、と願わずにはいられない。


[後記]:
 このコーナーの中で最も念の入った文章で一番気に入っている。椅子を蹴るところなど何度読んでも笑ってしまう。バカだ、こいつ・・・って俺の話じゃねえか。

 プロジェクト杉田玄白も、まだ意外に(フリーソフトウェア界ですら)認知度が低いように思うのだ。もっともっと色んな分野の色んな作品が登録されるといいと思うのだけど。それに typo チェッカーとしての武井伸光さんが山形さんから大感謝されるように、参加の仕方は色々あると思う。

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初出公開: 1999年11月30日、 最終更新日: 2000年05月22日
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