『Wiki Way』ショートエッセイ(3)
Wiki は何に適しているのだろう


 CafeWiki に「Wikiの先にあるもの - 最近、Wikiについていろいろ考えてみました。」というページがある(後記:エラーが出る場合は Coffee さんのトップページから辿ってください)。ここで Coffee さんが書かれる、CafeWiki という Wiki クローン作者としての Wiki そのものに対する戸惑いというのは実は多くの Wiki クローン作者が共通して辿る通過点らしく、他の Wiki クローンでも形を変えてこの「Wiki ってそもそも何よ? Wiki の本質って何だ? 何に使うべきだ?」というのが問い直され、議論になっているのを見かける。僕は Wiki クローン作者ではないのだが、やはり同じような疑問にときどきぶち当たる。『Wiki Way』のサポートページに Wiki そのものの定義を書こうとしてハタと手が止まってしまったし。

 Wiki クローンがこれだけ作られているのにはいろいろ理由があるだろう。自分が好きなプログラミング言語、動作環境で Wiki を動かしたいという欲求が原動力になる場合も大きいだろう。ただ基本的にはその人が考える Wiki のあるべき姿(とその改良点)を実現したいという気持ちも大きいはずだ。それは例えば CafeWiki ではナビゲーションビューとして、HashedWiki ではパラグラフ指向として具体化されているわけだが、Wiki はどうあるべきか、どう使われるべきかという問いはこれからもいろいろな形で問い直されていくだろう。

 そしてこれからの展開だが、『Wiki Way』の訳者あとがきで「今後ウェブ日記、ウェブログに特化したWikiクローンが出てくるのではないか」と書いたがこれは明らかに説明不足。既に Wiki はその用途に使われていて(PukiWiki の calender プラグインなんかがいいのかな)、WikiLog という言葉もあるくらいである。僕が上の文章を書いたときに想定していたのは今思うと tDiary コミュニティの発展形のようなものだった。ただそれは別にしても掲示板、ウェブ日記・ウェブログシステム、関心空間などのコミュニティモデルあたりに個人的な興味が伸びていきそうな感じなのだが、時間ができたらここらへんをクロスオーバーした欲しいものを次々と自分で作り上げてしまう達人いしなおさんの仕事を辿ることから始めたいものだ。

 さて、CafeWiki の「Wikiの先にあるもの」に戻ると、このページの後半に Dave Thomas による「What is WikiWiki suitable for?」という文章が取り上げられている。この ruby-talk メーリングリストに投稿された文章は、古典的というか標準的な意見だと思う。せっかくなので Dave Thomas の文章をゆるく日本語に訳してみたのでそれを載せて今回のショートエッセイは終わりにする。

Wiki の規範となっている c2.com の WikiWikiWeb は、ソフトウェアパターンについての議論、共同作業を行う場として始まった。Wiki はそうした作業を行う優れた媒体だった。誰かがアイデアを投稿し、他の人達がそれを受けて記述を追加したり変更したりする。それは正にコミュニティとしての活動そのものであり、忠実で意欲的な支持者を生み出した。

残念なことに、Wiki の制限のなさが問題になってきている。Wiki 上で作業を行うには、確固としたメンタリティ、すなわち哲学が必要となる。つまり、アイデアを共同で発展させる場として Wiki を捉えなくてはならないのだ。しかし現在では、多くの人達が Wiki をメーリングリストやニュースグループでやるのと同じ様に、基本的にコメントを続けることで議論を行うのに使っている。Wiki の元々のスタイルの多くは消え去ってしまった。

僕は個人的には、Wiki は人々が共同でアイデアを発展させる優れた場だと思っている。もし僕が世界中の人達と Ruby のモジュールの開発を共同で行っているなら、我々の思考をアーカイブできる内輪向けの Wiki を設けることを提案するだろう。

しかしここで議論になっている、一般的に聞かれる質問とその答えといった類いのものに Wiki が役立つとは僕は思わない。

でも僕の考えが間違いだと嬉しいな。だって僕は Wiki で作業するのが好きだから。


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初出公開: 2002年09月23日、 最終更新日: 2002年12月08日
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