礼儀正しさ重要

著者: Rich Bowen

日本語訳: yomoyomo


以下の文章は、Rich Bowen による Good Manners Matter(Open Advice に収録)の日本語訳である。


Rich Bowen は、約15年もの間フリー/オープンソースソフトウェアに携わってきた。その時間の大半は Apache HTTP Server に費やしてきたが、Perl や PHP やいろんなウェブアプリケーションにも取り組んできた。彼は『Apache Cookbook』や『The Definitive Guide to Apache mod_rewrite』他いろんな本の著者であり、様々な技術カンファレンスに頻繁に参加している。

僕は2000年の9月に Apache HTTP Server のドキュメンテーションプロジェクトに携わり出した。少なくとも、僕が初めてドキュメントをコミットしたのはそのときだった。それ以前は電子メールでいくつかパッチを登録して、他の誰かがそれをコミットしてくれていた。

それ以来、僕は Apache サーバ本体のコードへのほんの少しの変更に加え、Apache HTTP Server のドキュメントに1000回をこえる変更を加えてきた。人がフリー/オープンソースソフトウェアに関わるのにはたくさんの異なる理由がある。それで名声を得ようとしている人もいる。大半は、ことわざで言うところの「かゆいところをかこう」としている――現在行ってないことをそのソフトウェアにさせたり、自分たちのニーズを満たすために新たなソフトウェアを作ろうとしているわけだ。

僕がソフトウェアのドキュメンテーションに関わったのは、ある本を書く支援に引っ張りこまれたためで、既存のドキュメントがホントひどかったのだ。よってその本の内容を首尾一貫したものにするために、僕はドキュメンテーションを理解する支援をすべく、プロジェクトのいろんな人たちと話をしなければならなかった。その本を書く過程で、僕はドキュメンテーションをより良いものにしたわけだが、それは純粋に自分の作業を楽にするためだったのだ。

それと同じ頃、プログラミング言語の Perl の作者である Larry Wall が、プログラマの三大美徳は怠惰、短気、そして傲慢であるという考えを宣伝していた。Larry はすごく大事なポイントをついていたし、彼にはユーモアのセンスもある。しかしながら、プログラマコミュニティのかなりの部分は彼の言葉を世間知らずである免罪符にしている。

僕がオープンソースのドキュメンテーションに何年も携わって学んだのは、ドキュメンテーションの専門家、またより一般的にはカスタマサポートの専門家にとっての三大美徳は、怠惰、忍耐、そして謙虚であるということだ。そして、これらの美徳をすべて結びつける包括的な美徳が敬意である。

怠惰

我々がドキュメントを書くのは、残りの人生で毎日同じ質問に答えなくても済むようにである。ドキュメンテーションが不十分だと、人はそのソフトウェアを使うのに難儀することになる。これがもうかるコンサルビジネスの秘訣かもしれないのだが、短命なソフトウェアプロジェクトを生む原因でもある。人々が落胆して利用を諦め、理解に何時間も費やす必要のないものに移行してしまうわけだから。

だから、怠惰こそドキュメント書きの第一の美徳なのだ。

顧客が質問をしたら、我々はその質問にとことん答えるべきなのだ。できれば余すことなく。それからその質問を後世の人たちのために記録すべきである。例や、可能であれば図やイラストをつけて分かりやすくすべきだ。確実に文章は明快に、文法的に正しく、そして説得力あるようしないといけない。そしてこれをドキュメントの見つけやすいところに加え、誰か探す可能性があるところすべてからたっぷり相互参照されるべきなのだ。

次回誰かが同じ質問をしたら、その回答のポインタを示すことで答えられる。それに既に書かれた回答を読んで抱く疑問は、その既に書かれた回答の拡張や注釈の源泉になるはずだ。

これこそ真の怠惰である。怠惰とは単に仕事を避けることではない。それは二度と同じことをしないで済むよううまく仕事をすることなのだ。

忍耐

技術系のドキュメンテーション界隈には短気で好戦的な傾向がある。この短気さの原因はたくさんある。この分野を理解するのにかなり苦労しなければならなかったので、あなたも同じ思いをすべきだと感じる人もいる。技術系の世界にいる我々の多くは独学者なので、自分たちの後から来て成功の近道を望む人にほとんど我慢ならないのだ。

僕はこれを「俺の芝生から出て行け」式態度と好んで呼んでいる。あまり有益じゃないね。

顧客に忍耐強くあれないのなら、その場合あなたはカスタマサポートに関わるべきではない。誰かが分かってないのを見て腹を立てているのに気づいたら、他の誰かにその質問を任せることだ。

もちろん、それは言うは易く行うは難しである。特定のテーマの専門家の地位にあると、人々があなたのところに質問をもって来るのは避けられない。あなたは我慢強くあらねばならないが、これを実現するにはどうすればよいだろう? その秘訣は謙虚さにある。

謙虚

初めて技術カンファレンスに参加し始めた頃、僕は約2年間主にメーリングリストで技術サポートをやっていた。その最初の数年間はとても楽しかった。そのうちアホどもがメーリングリストにやってきては他の人が前に千回はしたことのあるバカな質問をするようになる。2分でもちょっと見てみれば、その質問が以前に回答された場所にどれも気づくだろうに。でも、連中は怠惰で愚かすぎてそれができないのだ。

その後僕はカンファレンスに参加するようになり、いくつかのことに気づいた。

まず僕が気づいたのは、そんな質問をする人たちも人間だということだ。彼らは単なる白い背景上に黒字で書かれた等幅フォントの文章のかたまりではなかった。彼らは一人一人違う人間だった。子供がいた。趣味があった。彼らはあらゆる種類のことについて僕よりもずっと多くを知っていた。僕は優れた人たちと出会ったが、彼らにとって技術は何か非技術的なことを達成する道具なのだ。彼らは他のシェフたちとレシピを共有したかったのだ。西アフリカの子供たちが文字を学ぶのを助けたかったのだ。ワインに夢中で、もっと学びたかったのだ。端的に言って、彼らは今の僕よりも賢かったのに、僕の傲慢さだけが彼らとの間に横たわり、さらなる成功を妨げたのだ。

その最初に参加したカンファレンスから戻ると、僕はメーリングリストのユーザをまったく違った角度で見るようになった。そこにいたのはバカな質問をするアホどもではもはやなかった。彼らは、ある作業を達成できるよう僕の助けをほんの少しだけ求めていた人たちで、けれどもほとんどの場合彼らの情熱は技術にはなかったのだ。技術は道具に過ぎなかった。だから彼らがメーリングリストの昨年のアーカイブを読むのに時間を割かず、代わりに今更のような質問をすることを選んだとしても、それは理解できることだった。

そして間違いなく、来る日も来る日も彼らを助けなければならないのがイラつくなら、お前はなんてマヌケなんだと彼らに言うのではなく、身を引いて他の誰かにその質問を処理させるのがなすべき上品な態度である。あと、自分がバカな質問をせざるをえなかったときのことすべてを思い出すのもね。

礼儀正しさと敬意

結局のところ、これはすべて礼儀正しさと敬意にいきつく。僕はここで主に技術サポートについての話をしたけど、ドキュメンテーションは技術サポートの単なる静的な一形式である。ドキュメンテーションは、あなたが人々が抱くだろうと予想する疑問に回答するものであり、参照用に半永久的な形式でそれらの回答を提供するものなのだ。

このドキュメントを書きながら、自分の読者がアホだという仮定と、読者は既に何でも知っているはずという仮定の間でバランスを取るべきなのだ。一方を採れば、コンピュータは確かにコンセントにつながってますかと言うことになる。もう一方を採れば、どの作業も些細なものに聞こえるよう「ただ〜する」とか「〜するだけ」みたいな言葉を使い、自分たちはその作業にまったく向いてないのではないかと感じさせることになる。

これは読者に対して多大な敬意と共感を持ち、新たなソフトウェアを学ぶ初中級段階で起こりがちなのを思い出すよう努める必要がある。しかし、ひどいドキュメンテーションの例が広く見られることを考えると、これがよみがえらせるのがひどく難しい記憶であるはずはない。ひょっとしたら先週もそんな風に感じたことがあるのではないか。

思うに……

オープンソースのドキュメンテーションに携わり出した頃、自分が傲慢でなかったならと思う。公にアーカイブされるメーリングリストで言ったこと、それはインターネット上に永久に記されるわけだが、そのいくつかを見直し、あんなに無礼足りえたのを恥ずかしく思う。

人間の最大の美徳は礼儀正しさである。他のすべての美徳は礼儀正しさから生じる。礼儀正しくなれないなら、あなたが達成することはいずれもちっぽけなものだ。


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初出公開: 2012年06月21日、 最終更新日: 2012年06月25日
著者: Rich Bowen
日本語訳: yomoyomo (E-mail: ymgrtq at yamdas dot org)

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