Sensorware(前編)


 技術者たるもの、常にアンテナを張って最新の技術動向を押さえておくべきである……のだが、自分の嗜好性で特定分野を軽視してしまい、後で慌てることがある。最近では IC カード関係の動きがまさにそれで、中央公論のような一般誌が「ICカード 世界とサイバースペースが融合する日」という特集を組んでいるのを読み(2003年1月号)、「二〇〇二年はICカード本格普及元年だった。」という文章に愕然とする始末である。

 僕が IC カード周りの動きについて無頓着だったのには二つ原因がある。一つは地域的な問題。現在最も普及している IC カードは、言うまでもなくソニーが開発した非接触型 IC カードである Felica をベースにした Suica であり、関東地方に住み JR を利用する人の結構な割合がそれを常用している。やはり日常的に利用するブツがあるかないかは、認識に大きな影響を与えるでしょう。

 もう一つは僕自身の認識の甘さがある。当方は、前述の中央公論の特集で執筆している森山和道氏のウェブ日記の愛読者であり、当然氏が IC カード関係を追っていたのも分かりそうなものなのだが、そこら辺の記述の記憶がすっぽり抜けている。どうやら自分とはあまり関係なしと決め付けてフィルタしていたようなのだ。

 この無意識のフィルタを自覚したとき、自分のインターネット、ネットワークについての認識について少し考え込んでしまった。


 IC カードと昔からある磁気カードとの区別がついてなかったという初歩的な考え違い、一時期もてはやされた電子マネー関係の動きの停滞が印象にあったなどいろいろあるのだが、思った以上に自分なりの「正しいネットワーク像」みたいなものに固執していたことに気付かされた。それは結局のところ、自分が日常的に(自室、職場で)利用する PC ベースのネットワークであり、IC カードが(中央公論の特集のタイトルから拝借するなら)「サイバースペース」と融合するという感覚が持てなかった。これは想像力の欠如、というか思考から柔軟さがなくなりつつある兆候だろう。

 自分が分かっている範囲で物事が進んでほしいと思う気持ちは誰しも多かれ少なかれあるのだろうが、僕ごときの「正しいネットワーク像」では現状の大枠だって捕らえられない。例えば、現在の携帯電話によるインターネット接続アーキテクチャが邪道にしか思えないとしても、実際問題それ抜きにインターネットワーキングを語るわけにはいかんのである。

 また記憶を辿るうちに思い出したのが、次世代標準暗号化方式としての AES選定過程において、処理効率の判断材料に IC カード上の動作効率が挙げられていたこと。実際、候補の一つであった NTT の E2 は専用 IC を用意するなど、そこらへんを強く意識していたはずだ。またこれはソースが見つからなかったので当方の誤記憶かもしれないが、選定過程で IC カード上の動作における電圧降下(?)だかを利用した攻撃法の可能性といった記事を読んだ覚えもある。自分なりに追っかけているセキュリティ方面からももっと早くこの分野の重要性に気付くべきだった。

後記:青山さんから IPA による調査報告書を教えていただきました。電力解析など IC カードのセキュリティの問題に関する詳しいレポートになっていますので是非ご覧ください。更に山根信二さんからもご教示いただきました。すずきひろのぶ氏の「CRYPTO 99 訪問記」に電力消費による暗号分析の話が出ています。IPA は少ないタイムラグでレポートを出したことになります。しかし、それが電子政府に関する政策決定を変えることはならなかったということのようです。いずれにしろ IC カードのセキュリティは、それ単体でも「耐タンパ性」という言葉で片付くものでなく、また電力解析攻撃だけが IC カードへの攻撃法ではない(例えば、Ross Anderson が発見した攻撃法)。


 しかし、遅まきながら注意して記事を読むようになって再度愕然とする。「次世代バーコード」といったキャッチフレーズに面白みを感じずに特に注意を払ってなかった無線タグ(RFID)の仕組みが、非接触 IC カードで使われているそれと同じであることに気付いたということなのだが、「日経デジタルコア」が行ったアンケートによると、「この2〜3年でITの閉塞感を打ち破り、次なるブレークスルーをもたらすと思う技術、サービス、インフラ」として圧倒的多数で無線 IC タグが選ばれている。今更初歩的な仕組みに気付いて驚いている当方はよほど認識が遅れているのだろう。実際、2002年度のマーケットサイズと比して、2005年度には約3倍、2010年には100倍以上(11億3270万枚)の市場規模になるという矢野経済研究所による将来予測も出ている。

 ニュース記事をたどるうちに、前述の IC カード関係の話、日立のミューチップ関係、そして少し前に話題になった次世代タグ技術の標準化団体の話が自分の中でつながっていくのは楽しかったが、このあたりの情報をまとめて読める媒体が欲しくなった。アメリカには既に RFID Journal というのがあるが、日本の雑誌では CardWaveモバイルRFマガジンが主要情報源だろうか。

 そうするうちに日経が主催する IC CARD WORLD 2003 が3月のはじめに開かれることを知ったのだが、足を運ぶ時間を作れなかった。残念。その模様を伝えるニュース記事を読むと、IC カード関係ではやはり Suica、Felica ベースの実際的な(つまりある程度予想がついた)ソリューションが続々登場しているし、一方 NTT も公開鍵暗号方式を使った eLWISE で巻き返しをはかろうとしている。また「IC CARD WORLD」とは銘打ってはいるが当然 RFID 全般も網羅しており、こちらの進展も目覚しい。COMDEX など旧態然とした IT 系トレードショーの凋落ぶりと対照的である。

 遠藤諭氏は月刊アスキー2002年12月号で「非接触型ICは、インターネット以上」という文章を書いていたが、もうソフトウェア、ハードウェアといったくくりではなく(Infoware という言葉もあったっけ)、これからは「Sensorware」の時代と言ってしまってよいのではないか。


 ここで時計の針を少し戻すが、そういうトロいワタシも、次世代タグ技術の標準化団体のニュースを読んだ記憶はちゃんと残っていた。これは MIT 主導の Auto-ID Center の日本支部設立のニュースに併せ、TRON プロジェクトが次世代プロジェクトとして発表されていた「ユビキタスID」とのバッティング、更には Auto-ID Center の日本支部のリサーチ・ディレクターに就任する慶應義塾大学教授の村井純と、TRON プロジェクト開発リーダである東京大学大学院教授の坂村健の対立構図という形でニュース記事になったためである。要は、自分がやるのは嫌いだが、他人の喧嘩には興味があるという野次馬根性でしょうか。

 @Random/1st のとき、奈良先端科学技術大学院大学教授の(というよりその日は JPCERT/CC 運営委員会委員長としてお越しいただいた)山口英氏に隣席する幸運に恵まれたので件の報道について伺ったところ、「ガセだよ、ガセ! ガセだっての! ちゃんと気をつけて記事は読まなきゃ。あれを書いたのは(以下略)」「対立なんてのはなくて、相互補完的なものだよ。ただ、坂村さんはまず日本の技術を、というのがあるから…」とのことだった。

 疑り深い当方は、それを聞いても実は懐疑的だったのだが、日経エレクトロニクス2003年2月17日号の特集を読むと、確かに村井、坂村両氏とも対立を否定している。また同特集に掲載されている Auto-ID Center 共同設立者の Sanjay Sarma 氏のインタビューによると、Auto-ID Center は飽くまで大学の研究機関であり、標準化団体ではないとのことで、他にもいくつか誤解しているところがあるのかもしれない。


 しかし、である。考えに何の違いもないならば別団体でやる必要はないわけで、当然差異はあるはずである。それは前述の山口英氏の「坂村さんはまず日本の技術を…」という指向性の話であったり、村井純が日経エレクトロニクスのインタビューにおいて最後に述べている「坂村さんって、少しだけ口が悪いよね(笑)」といったところもあるだろうが(この言葉をインタビューのシメに持ってくることを決めたとき、編集者は心の中でプチガッツポーズを取ったのではないか)、我々が知るべきは純粋に技術の話である。

 ID の長さから違う(Auto-ID が96ビット、ユビキタス ID が128ビット)とか、坂村健が指摘していた RFID が使用する周波数帯域の問題(米国、欧州、日本で空いている帯域が異なり、また『電波屋さん』はそれを当たり前だと考えている)とか問題は多そうだ。ただ坂村健が語る、「Auto-ID Centerの発想は、そもそもバーコードの置き換えから始まっている。これに対してユビキタスIDセンターは、非接触ICカードも含めて無線タグの応用分野を広げていこうと考えています。」というのは、Sanjay Sarma も「物流は最初の一歩に過ぎない」と言っており、応用分野に関して両者は必然的に近づいていくはずである。

 それぞれの団体について参加企業の名前が既に挙がっているが、両方に対応する日本ユニシスのような例を見ると、統一化できないものかとは思うのだが…無理かな。


 やはり一番大きい断絶は、インターネットの利用についての考え方だと思う。村井純の指向は書くまでもないが、坂村健は「“IPv6でユビキタス”なんてできないし、私はやりたくない。そういうトンチンカンなことをいうひととは、話をしたくない」と強い口調で語っている。

 またその思想の違いは、タグについての考え方にも出ている。つまりユビキタス ID はタグに機能を持たせるのに対し、Auto-ID は機能はバックエンドに持たせてタグは簡素化するところなど。無理やり山口英氏の @Random でのプレゼンでの言葉につなげるなら、「知性を外側に」となるか。

 個人的にはその一点だけで Auto-ID のほうが面白そうに思うのだが。また、そのインターネット利用への期待は、僕が感じる RFID の展開に感じる不満の裏返しなのかもしれない。

 次世代バーコードと呼ばれることからも分かる通り、物流関係で RFID のビジネスモデルはかなりしっかりできあがっている。チップのコストさえ解決すればすぐに実用化されるだろう。ひげそりなどでおなじみの Gillette が5億個(!)発注をかけたことからも企業側の本気具合が分かる。

 しかし、「SCMを変える」などと横文字を使うとかっこよいが、用途として具体的に挙がるのは書籍などの万引き防止、図書館業務などの自動化に代表されるトレーサビリティ確保であったり(参加企業に大日本印刷や凸版印刷などの印刷関係の名前が目立つ)、美術品の管理であったり、あと音楽関係でもメディアやプレイヤーにタグを付け認証することでコンテンツ保護といった、「守り」の印象が強い。これは悪い意味ばかりで書いているのではなく、そのビジネスモデルが堅いということの裏返しでもあるのだが。まあ、書籍の万引き防止などは現在の不況の影響もあるのだろう。


 無線タグが実現するソリューションには、自動精算システム(カゴに入れるだけで金額を計算してくれる)もあるが、森山さんによるとこれはこれで結構難しいようだ。「RFIDっていうのは環境・空間そのものをロボット化(自動化)することだから、閉じられてかなり制御された(あるいは制御できる)環境下じゃないとうまくいかない」「ICカードがここに来てブレイクした理由も、そこにある。不定形で、どこに埋め込まれているのかもさっぱり分からないRFIDと違い、ICカードは「カードを使う」ことを意識して使わざるを得ない。」という指摘は非常に鋭い。

 余談であるが、ここの記述を読みなおして、氏が PC Watch に連載している「ヒトと機械の境界面」が、当初皆が予想したロボット関係の話題に留まっていない理由が分かった気がした。この人は本当にすごい。

 ただそのような難しさはあるのかもしれないが、逆にいえば、その不定形なところを利点にはできないのか、前述の「守りの姿勢」からの飛躍はならないものか、と天邪鬼なワタシは思うのだが。例えば村井純も、「正直に言うと、Auto-ID Centerが現在取り組んでいる物流中心のテーマは、少しまじめ過ぎるかなと思っています。もう少し面白くできる。」と言っているが、無線タグを単位として、インターネットを利用したオーバーレイネットワークの構築により新たな価値創出はできないものだろうか。またその場合、RFID の長さに対応するインターネットプロトコルは IPv6 になるだろう。

後編に続く


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初出公開: 2003年04月07日、 最終更新日: 2004年01月18日
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