Paint A Vulgar Picture


 これは以前にも書いたことがあるが、僕は村上龍を、「日本人の小説家」という括りでは五指に入るくらい評価している。「限りなく透明に近いブルー」の静謐、「コインロッカー・ベイビーズ」の破壊、「69」の哄笑、「イビサ」の毒波・・・いずれも未だに僕にとってかけがえのない作品だ。デビューから四半世紀たち、今なお現役であるというところが素晴らしい。

 だが彼は時々救いがたいほどゲスな側面を見せてしまう。同じ長崎県人としてこういうことは書きたくないのだが、イナカモノがかっこをつけて平然としているような無様さを感じるのだ。それはつまりかつての「すべての男は消耗品である」におけるマヌケさであり、今になって「あの金で何が買えたか」という本をぬけぬけと書けてしまえる厚顔無恥さである。


 その彼がインターネットASCII(現在は、アスキーネットJ)でインタビュー(2000年5月1、15日号 p13-15)を受けている。最新作である「共生虫」が内容的にも、出版方法(1000部限定のオンデマンド出版)にしろネットと関わりを持ったものであるからだろう。インターネットとの関わり合いという点でも、パソコン通信時代のバックボーンを持つ筒井康隆などを別にすれば、彼は他の日本の作家から抜きんでている。

 そのインタビューの最後の質問「インターネットに関することで注目されている事象」に対して、彼は "Linux" を挙げている。彼の主張をまとめると、

 となる。なかなかかっこいくシメてくれているし、Linux のとらえかたもハズシてはいないと思う。

 しかし、インターネットの何に価値を置くかという根本的な点について、本当に彼は一貫しているだろうか。約一年前に行われた、HotWired でのインタビューにおいて、彼は Linux について、以下のような発言をしている。

−−情報通信に関連しての可能性ということでは、今、Linuxのような、ボランタリーな人たちが、Windowsとは異なったOSを作るというようなムーブメントがありますが。

村上 そういったことには興味ないですね。ただ、電子決済とか、電子商取引とか、インターネットによって、個人が証券、債権、為替とかのマーケットに介入できるようになるというのは、すごく影響が大きいと思いますけどね。

−−Linuxのような動向にご興味がないのは、どうしてですか?

村上 直接、関係ないですからね。使えるコンピュータが一台あればいいかなと。Linuxの株を買ってれば、興味あるかもしれないですけどね(笑)。

 ・・・お前、モロに profit 志向やんけ! と突っ込まざるを得ない。面白いことに、Linux に対する理解を通して、彼はその品性を露にしている。かなり恥ずかしい。勿論それと彼の作家としての力量はまた別の問題だ。


 彼の中での Linux に対する認識の変化はいつ起きたのだろうか。

 僕は自分のメールボックスの中から、JMM (Japan Mail Media) を検索にかけてみた。発行部数五、六万部を誇るメールマガジンなので、この文章を読まれている方にも購読者はおられるだろう。かくいう当方も創刊時からこれに注目し、購読もしていた。金融・経済関係という目の付け所が的確だし、日本の作家にしては極めて珍しい勉強家としての編集長村上龍の面目躍如といっていいボリュームを誇っていたし。

 JMM に対して、山形浩生は稲葉掲示板で、「できの悪い『東洋経済』のさらに出来の悪い焼き直しって感じ」と斬り捨てていたが、ファイナンス関係については全くのトーシロである当方には非常に魅力的で刺激的なものには違いなかった。

 90年代の一時期、ほとんど「月刊村上龍」と比喩してもいいくらいの刊行ペースにあったが、JMM によってそれが「日刊村上龍」状態にまでなったのである(笑)。


 Linux をキーワードにして調べてみると、ある座談会がヒットした。それは IT 革命について論じ合ったもので、JMM としては2000年2月から3月にかけて配信されたものである。編集長の村上龍、東京三菱証券の北野一、明治生命保険の山崎元といった常連に加え、株式会社ネオテニーの代表取締役である伊藤穣一、早稲田大学アジア太平洋研究センターで教授を勤める岩村充が加わったもので、座談自体も伊藤、岩村中心に行われている。

 実際のところ、僕は2000年3月の No53. あたりで JMM の購読を止めている。内容的には、僕のようなぼんくらにすれば勉強になるところは幾らでもあったのだけど、何より分量が他のメール・マガジンとは桁違いで、未読のまま溜まっていく JMM をみて、これは不健康だとストップをかけたのだ。

 件の座談会にしても、この文章を書くためにはじめてちゃんと読んだのだが、明らかに村上龍のインターネットASCIIでのインタビューの発言は明らかに伊藤穣一の影響下にある事が分かる。

 この伊藤穣一という男のことは以前から名前だけは一応知っていたし、イメージというか先入観もあった。それはつまり「千葉麗子とつるんで金儲けしているオヤジ」(笑)というものであって、氏の著作など読んだことはなかった。そこで彼のプロフィールを遅れ馳せながら知り恐れ入ってしまった。前述のネオテニー以外にも、インフォシークの取締役会長、Be Inc. の顧問などを初めとして数多くの企業に重役を連ね、郵政省関係の複数の委員会でも委員を勤める大変おエライ方なのだ。三流プログラマーであるワタシなどが意見していいのだろうか(駄目だと言われようがするがね)。

 そして、岩村充にしても、村上龍は冒頭で、「坂本龍一に、インターネットの本質的なことを聞くなら彼だと紹介された」と言うくらいの御人である(因みに、上に名前の挙がった村上、坂本、岩村は全てネオテニーの顧問に名前を連ねている)。


 そしてこの座談会の中で、IT 時代の価値のあり方の面白い例として Linux を伊藤がやたら持ち上げているわけだが、僕はこの座談会を読むうちに苦笑いが浮かび、そのうち腹が立ってきた。以下に伊藤の Linux に関する発言を取り上げさせてもらう(発言の最後に付した数字は、対談の回を示す。引用はウェブからでなく、メール版からさせてもらった。改行位置も修正した)。

Linuxというのは、買うことができないから金銭価値はゼロです。でもバリューはとてつもなくある。[1]

お金にならない世界というと、Linuxの取引は消費税がかからないんですよね(笑)。[2]

 今週末 Vine 2.0 パッケージを購入した当方はちゃんとお金を払ったのですが、これは間違っていたのでしょうか。はい、ちゃんと消費税も取られました。今からショップに戻り、店員をどついて少なくとも消費税分だけでも取り戻すべきなのでしょうか。

ちょっと違うレベルの話にもっていかせてもらって、何が良くて、何が悪いかという話にすると、Linuxに関わる人もそうだし、ダライ・ラマもそうなのかもしれないけれど、お金なんかは要らないというのがスタンスにあるんです。ある人たちにしてみると、経済がぐちゃぐちゃになろうが、戦争が起ころうがハッピーなんですよ。[3]

 幾らなんでもそれはないだろう。座談全体を読むと、伊藤にしても「ノウアスフィア理論」をそこそこ理解できてはいるようなのだが、「経済がぐちゃぐちゃ」になれば当然贈与文化だって成立しやしない。ましてや「戦争が起ころうがハッピー」なんて、まるでハッカーの一定数はユナボマー的人間とでも言いたいのだろうか。確かにハッカーの中にだって山師だってバリバリの共産主義者だってアナーキストだっているだろう(聖イグヌチウスがおられるくらいだからね(笑))。しかし、「お金なんか要らない」という物言いも含めて、一見持ち上げているようで、実は伊藤はオープンソース・コミュニティを見下しているのが垣間見えるように思う。

僕らなんかもLinuxコミュニティに近づいているところがあるのですが、Linuxコミュニティと仲良しだということだけで、時価総額がどかーんと上がるんです。[1]

いくらお金を払っても気に入らなければ何もしないけど、Linuxのためになら何でもする。[2]

 この発言から見えてくるのが、Linux 並びにオープンソースを巡るたかりの構造である。結局伊藤にとって Linux というのは自分の価値を高めてくれる道具にしか過ぎないのだろう。2000年問題やらクラッキングといった問題を、見事にマーケティングしてみせたセキュリティ関係のベンチャー時代のマッチポンプ((C)山根信二さん)としての過去を鑑みればそんなところだろうか。

 極めつけといえるのが、彼の盟友である岩村充の次の発言である。

例えば、なぜパーティに行く人が、リムジンに乗って、ドレスに身を包んで、ダイヤモンドで胸元を飾って行くのかというと、それは、玄関を通ってパーティに参加するためです。だから、リムジンもダイヤも本当はその人にとって価値はない。価値があるのは、玄関を通ってパーティに参加することなんです。だから、ジョーイさんなら、Linuxの伊藤です、ということでパーティに参加できてしまう。

 出た! 「山形浩生の NGO/NPO の法則」(勝手に命名。ちょっと違うかな?)ではないか。恥知らずもいい加減にしていただきたい。Linux の○○だなんて堂々と言う資格があるのは世界中で Linus さんと、Alan Cox ぐらいではないか。それに Linus さんにしたって、パーティに出席して「ワタシが Linux の Linus です」だなんて直球勝負の野暮なことは言わないと思うぞ。


 伊藤は何をもって「Linuxコミュニティに近づいている」といっているのだろうか。何をもって「Linuxの伊藤」とまで言わしうる存在になったのだろうか。

 当方は不勉強にして伊藤が Linux コミュニティにどのように貢献しているのか知らない。何と言っても「Linuxの伊藤」である。Linux 関係者に酒を奢ったとか、自分のノートパソコンに RedHat Linux をインストールしたとか、オープンソース関係の短文を翻訳したといったチンケなレベルではないはずだ。

 どのソフトウェアに contribute したのだろうか。そうでなくても FSF なり XFree86 あたりに寄付を行ったのだろうか。そうでなくても、自分の会社で大幅に Linux を導入したソリューションを提供しているのだろうか。これは是非日本の Linux コミュニティの方に教えていただきたい。知らないことはないだろう。何と言っても「Linuxの伊藤」だそうだから。

 結局のところ僕には何も分からないのだけど、いずれにしても村上龍もこんな底の浅い連中の言うことを真に受け、知ったような口をきいても足元を見られるだけだということは知っておくべきだろう。


[前のコラム] [技術文書 Index] [TOPページ] [次のコラム]


初出公開: 2000年05月15日、 最終更新日: 2002年02月22日
Copyright © 2000-2002 yomoyomo (E-mail: ymgrtq at yamdas dot org)