yomoyomoの読書記録

2010年04月29日

内田麻理香『科学との正しい付き合い方』(ディスカヴァー・トゥエンティワン) このエントリーを含むブックマーク

表紙

 著者から献本いただいた。

 著者の本を読むのは、『カソウケン(家庭科学総合研究所)へようこそ』、『恋する天才科学者』に続いて三冊目である。言うまでもなく、いずれも科学をテーマとした本だが、本書はカソウケンというキャラクター設定を捨て、また科学者の恋愛模様といった変化球にも頼ることもなく、サイエンスコミュニケーターである著者が、書名に掲げられる「科学との正しい付き合い方」について正面から取り組んだ本である。ある意味で、本書は著者にとって再デビュー作と言えるのかもしれない。

 本書は、現代日本に住む我々と科学の間にある誤解をときほぐす初級編、科学を理解し伝える力である科学リテラシー、並びにそれを養うのに必要な「疑う心」の重要性を説く中級編、そして書名に掲げる科学と正しく付き合う視点について論じた上級編と三つのパートからなる。

 この本でも何度も繰り返されるように、科学技術は我々の身の回りにあふれている。言うまでもなく科学技術は重要であり、専門家だけが関わればよいというものではない。人類の進歩は広義の技術なくしてはありえないのだ(これは私見)。しかし、一方で科学と社会の関係はぎくしゃくしている、という認識が本書には底流している。

 本書の最初に、著者にとっての科学が「物語としての科学」であることが書かれているが、本書における語り口は段階的なところが巧みで、「科学のありのままを正しく伝えれば、誰もが面白いと思ってくれるに違いない」という科学マニアゆえの傲慢さに陥ることを避けている。

 科学リテラシーは「科学的知識」と「科学的思考法」の二分できるが、後者の思考法こそが大事である。しかし、ここが問題だが科学的に考えれば必ず答えが出るわけではない。科学は「即決」とは対極の存在であり、それを科学に求めることは、科学を悪用する商売の罠に落ちることにつながることがちゃんと指摘されているのも興味深かった。

 本書のハイライトは、2009年秋に行われた行政刷新会議による「事業仕分け」の科学技術予算に対し、ノーベル賞、フィールズ賞受賞者が行った緊急討論会、並びにそれに対するネット上の反応を、「ぞっとする全体主義」、「科学教の狂信で思考停止に」と一歩も引かずに批判しているところだろう。これこそまさに科学リテラシーの前提となる「疑う心」を阻害する例に対して、「疑う心」をもって対した実践と言える。

 あと上級編における、「人生を豊かにする」「役に立つ」という科学リテラシーを持つことの利点の代表例に加え、「見えないものが見えるようになる」ことを挙げていたのが良かった。これは前半にある「一見関係のないものから、つながりを見出すことができる」のが科学の醍醐味、という話につながるものである。

 科学リテラシーは、人生を「効率的」に便利にしてはくれない。それに失望する向きに対し、「見えないものが見えるようになる」ことの尊さ、それで見えるようになる「つながり」の価値を一般の人たちに知らしめること、そしてそれにより彼らを科学、並びにその専門家の仕事につなぐことがサイエンスコミュニケーターである著者の今後の仕事になるのではないか。


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