yomoyomoの読書記録

2013年07月12日

川口則弘『芥川賞物語』(バジリコ) このエントリーを含むブックマーク

表紙

 ずっと小説家になりたいと思っていた。職業としてはともかく、いずれ自分は小説を書くことになると漠然とだが確信もしていた、というのが正しいか。1999年にウェブサイトを立ち上げたときも、目的の一つに文章の修練というか、いずれ小説を書くのだから、これも少しはそれに役に立つだろうという想いがあった。

 しかし、当時から今まで一つもそれらしいものは書けていない。この歳になって、自分が小説を書けていないという現実にいささか呆れているところがある。ウェブサイトの更新は、それから遠ざかる効果しかなかったようだ。

 そういうワタシにとって、長らく芥川賞はやはり何かしらの憧れを感じるものであったことは確かだ。ワタシの知り合いの方が芥川賞の候補になった現実を前にして、その方が受賞したと想像したときの気分の高まりというか頬が緩むのを感じると、やはりまだ何かしらの憧れはあるのだろう。

 本書の場合、その著者名でこれは内容は確かだろうと確信した。本書の著者は直木賞のすべての管理人として知られる。この方であればいい加減なものは書かないだろうと信頼できるし、一方で直木賞についてあれだけ情熱に注がれてきた方がよくこの本の注文を受けたなと怪訝に思うところもあった。それについては本書の「あとがき」に率直に書かれてあり、やはり忸怩たる想いがあったのかと同情しながらもその筆致に笑いを禁じえなかった。

 そういう著者だから、内容的にはしっかりしたものでワタシの確信は間違ってなかったし、また一方で本書を貫く冷めたな視線も良いスパイスになっている。

 時代を映す<すぐれた文学>の代表として芥川賞の受賞作を掲げている。権威ある賞に選ばれた作イコール<すぐれている>とする強固なまでの妄執が、ここにある。(129ページ)

それでも芥川賞には好奇の目が注がれる。大傑作を評議する場かどうかは、あまり関係のないことだった。芥川賞は<権威>の皮をかぶせられた道化の役として、十分に機能していたのである。(192ページ)

 芥川賞が他の賞に比べて優位性があるとすれば、若い作家を見つけ出す慧眼でもなく、ブームを生み出す力でもない、最大の武器は<伝統>しか残っていないことを、あらためて感じさせる記事だった。(209ページ)

 この匿名記事は、続けて芥川賞を空疎なショーと断じている。無論こういった記事のおかげで、一段とショーが盛り上がる構図に、まったく変化はなかった。(225ページ)

 こういった記述をいくつも見ていると、だからどうしたと言いたくもなるところもあるが、確かにその通りなのだ。本書の第1回から第147回までの芥川賞の選考を辿る構成はオーソドックスだが、これが浮かびあがらせるものは確かにあり、それは選考基準が選考委員らによってなし崩しに変化するところ、またこの賞により時代の寵児が生まれたり、帯にもあるように派手な受賞であれ地味な受賞であれ、何かと物言いがつくところなど形を変え、何度も何度も起こっているのがよく分かる。

 あと(これが好ましいことかは分からないが)近年は何度も候補作になり、ある意味これまでの蓄積を踏まえ受賞することが多く、その意味でも本書のオーソドックスな構成は意味があった。

 個人的に笑ったのは、賞設立から5年前後で上林暁が「芥川賞患者とも言うべき文学的俗物達を、若い文学志望者の間に育みつつあることも事実である」と戒めていることで、こういうのも繰り返し指摘されることになるのはご存知の通り。

 ワタシの場合、やはり自分が好きな作家がどのように評されたかに特に興味があるわけだが、第25回のおける安部公房の受賞について、本書では「多くの委員から、文章の力や才能が認められた(71ページ)」とあるが、加藤弘一氏の文章で読んだ印象とはいささか異なるのが気になった。

 かつて筒井康隆が三島由紀夫賞の第5回の選評で、割とすんなり賞をとった人ほど他人に厳しいのはどういうことだと嘆いていた。この文章は、この回から選考委員になった石原慎太郎に対するあてつけなのだが(この回、賞設立以来初めて受賞作なしだった)、芥川賞においても開高健や遠藤周作がこれにあたる(二人とも初めての候補作で芥川賞を受賞している。ついでにいえば石原慎太郎も)。特に選考委員として候補作についてほぼ全否定に近い姿勢を通した開高健の所業は、ある意味犯罪的と言えないか……しかし、それなら賞が必ず出ればそれがそのまま賞の隆盛と言えないことも本書にある通りである。とかく人の世は難しい。


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