yomoyomoの読書記録

2005年11月21日

桐野夏生『顔に降りかかる雨』(講談社文庫) このエントリーを含むブックマーク

表紙

 桐野夏生の小説は、『OUT』が話題になったときに読んでみようと思ったものの結局読むことがなかったのだが、彼女の処女作である本作が本屋で目に付いたので買ってみた。

 本書は「ハードボイルド」と形容されるが、本書の評価はあまり高くないのは、その言葉に引きずられてというか誤解されてるところもあるのかもしれない。ハードボイルドの本質とは何か。それは主人公が都会に生きる探偵であったり、タフであったり非情であることとは関係ない。ハードボイルドの本質は語りのパースペクティブにあり、具体的には物語世界の中にいる語り手が客観的に語るという外的焦点化に依るのだ。以上、『筒井康隆の文藝時評』からの完全な受け売り(笑)。

 さて、その点で本書を考えるとこれは紛れもなくハードボイルド小説と言える。主人公である村野ミロによるパースペクティブがしっかりしているので小説として揺るぎがなく、時折見せる彼女の感情の発露も生理的なものでないので読者として取り残されることがない。一方でそれは必ずしも読者の主人公への安易な感情移入を促すものではないのは注意しないといけない。ただ一番最後のモノローグはいささか陳腐に感じられ、徹底さに欠けるとは思った。

 著者の筋の運びは巧みで、消えた女は、金はどうなったのか、主人公はそれを突き止めることができるのか、と久方ぶりにミステリーを読む楽しみを味あわせてもらった。最終的にキーとなる人物の設定が都合よすぎるが、そこまでにのめりこんで読んでいた感興を殺ぐほどではなかった。

 本書は1993年度の江戸川乱歩賞受賞作で、ということは書かれたのは91〜92年だろうか。確かに本書は当時のバブルが弾けた後あたりの金銭感覚を捕らえているように思う。

「あんたはたかが一億、何でそんなに騒ぐのよ、なんて思っているんでしょうね。どうして私らがそんな金に執着するかってね。たしかに、ちょっと前は百億動かしてましたよ。一億なんて利息にもなりゃしない。でも、今はそうもいかないんだ。細かいところからでも絞っていかないと、銀行の覚えも悪くてね。だから、あんたたちも逃げられないんだ」(211ページ)

 つまり、主人公の親友とともに消えた一億円という金額は、無論現在でも当時でもかなーりな大金には違いないが、当時であればこういった形であっさり個人に預けたりする、一方で端金と切り捨てることは絶対にできない額であるということだ。全般的に本書の物語世界のリアリティは90年代前半の世相に準拠している。ただ細部の記述については異論もあるだろうし、今読むとちぐはぐに感じられるところもあるのかもしれない。


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