yomoyomoの読書記録

2012年07月02日

シヴァ・ヴァイディアナサン『グーグル化の見えざる代償 ウェブ・書籍・知識・記憶の変容』(インプレスジャパン) このエントリーを含むブックマーク

表紙

 原書を紹介した関係でインプレスの方より献本いただいた。

 現在のインターネットを利用する上でその存在抜きに語ることができない Google の我々の生活や文化への浸透を「グーグル化」とし、その功罪を論ずる本である。

 本書はグーグル論というよりも、私たちがどのようにグーグルを使っているかを論じている。私たちがグーグルを受け入れ、広範で多様な人間的活動にグーグルが取り組んでいるやり方を明らかにするとともに、グーグルが世界各地に普及するにつれて、増大しつつあるグーグルへの抵抗と関心を考察している。本書はまた、何十億人ものユーザとグーグルの関係性を探究し、グーグルの行動と方針がもたらす道徳的影響の重大さについても考察している。(15ページ)

 正直に書くと、本書を読んでいてなかなか気分的に乗り切れなくてページが進まなかった。本書はネット社会における Google のある種の絶対性を描き出している。Google をジュリアス・シーザーになぞらえるところなどこないだテレビで観なおした『ダークナイト』を思い出したりしたが、ただ Google の絶対性は既に一部崩れており、Google 自身それを認識し、検索結果のパーソナラゼーションも行っている……といったことがちらちら頭をよぎったのである。

 実は本書を最後まで読むと、ワタシが上に書いたことは当然考慮されていることに気づくのだが、本書はただ「グーグル化」を言い立てるだけの本ではない。もちろん Google のサービスの優秀性はたたえているし、それ以上に著書が言いたいのは、「グーグル化」を許す背景としての公共部門の機能不全なのだ。

 私たちのグーグルへの依存は、巧妙に仕組まれた政治的詐欺行為の負の遺産なのだが、最も致命的な負の遺産というわけではない。グーグルは主に合衆国において、三十年にもおよぶ「公共部門の機能不全」という伝統を巧みに利用したのだが、他の多くの国々においても同じことが言える。(60ページ)

 Google の中核事業がアメリカ合衆国の法律に守られていることをよいことに、その「デフォルト設定」を無配慮に合衆国以外でも押し通し、自分たちに有利な鋳型に押し込めようとするテクノロジー原理主義とその傲慢さ、しかも「悪をなすなかれ」という非公式社是を掲げながら、その裏で各国の政府と不透明な取引をする Google に対する著者の記述は厳しい。ただそれを表裏の関係であり、その批判を読んでていささか混乱するところもある(著者は Google による「普遍化」やその「一貫性」を肯定したいのか、そうでないのか?)。

 しかし、著者が一番突きたいのは、我々が「公的責任」の感覚を失ってしまったことなのではないか。つまり、「グーグルの成功は、私たちの集合的・文化的な脆弱さの裏返しである(79ページ)」と。ここまでくると、ワタシはそのまま著者に賛同できないのだが、それを踏まえると本書における Google ストリートビューや Google ブックスへの大きな公共性を持ったサービスを企業にまかせてよいのか、Google は本当にその適切な代理人なのかという疑念が分かるし(図書館関係者は、本書の Google ブックについての記述は読んでおいたほうがよい)、ダニエル・ソロブを援用するプライバシー論も納得いくものだった。

 Google を扱った本は、最近ではスティーブン・レヴィ『グーグル ネット覇者の真実 追われる立場から追う立場へ』があるが、それでも一つのハイライトとなっていた中国における事業について、あの本が何故か書き落としていたように思う点をちゃんと書いているのはよかったと思う。

 本書の議論はきっぱり白黒をつける種類のものではないし(その過程でジェフ・ジャーヴィス、ニコラス・カー、エスター・ダイソン、そしてクリス・アンダーソンといった論者が批判されている)、ワタシがどこまでそれを十全に理解できたかというと怪しいものだし、それを言い出したら……というところもあるのも確かである。著者が強調する「公共部門の機能不全」に対して著者が提案する「ヒト知識プロジェクト」にも内在する問題があるのは、訳者が指摘する通りである。それでも読んでおいて損はなかった。


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