yomoyomoの読書記録

2012年01月12日

小田嶋隆『その「正義」があぶない。』(日経BP社) このエントリーを含むブックマーク

表紙

 日経BP社の竹内さんから献本いただいた。

 本書の元となった連載小田嶋隆の「ア・ピース・オブ・警句」 〜世間に転がる意味不明は毎週金曜日にほぼ必ず読んでいる。ワタシは著者の文章が好きだし、その立場に同意するところが多いわけだが、この連載を必ずしも好意的に見ていないところがある。

 ワタシが不満に思うのは文章が冗長であるところ。これについては著者自身が最近真面目に反論しているが、ワタシと同様に感じる読者が一定数いることのあらわれでもあろう。本書を読むとやはり冗長だと感じるところもあるが、連載当時ほどその不満は感じないので、あの忌々しい細かいページ分けに起因するところも多いのだろう。著者は上記の文章で、そうした「簡潔さ」「効率」を求めることへの危惧を述べている。

 これでワタシが思い出すのが小林秀雄の(前にも一度読書記録で引用したことのある)文章である。

 考えるとは、合理的に考える事だ。どうしてそんな馬鹿気た事が言いたいかというと、現代の合理主義的風潮に乗じて、物を考える人々の考え方を観察していると、どうやら、能率的に考える事が、合理的に考える事だと思い違いしているように思われるからだ。当人は考えている積りだが、実は考える手間を省いている。物を考えるとは、物を掴んだら離さぬという事だ。画家が、モデルを掴んだら得心の行くまで離さぬというのと同じ事だ。だから、考えれば考えるほどわからなくなるというのも、合理的に究めようとする人には、極めて正常なことである。だが、これは、能率的に考えている人には異常な事だろう。(「良心」より)

 本書に小林の言葉を当てはめるに足る思考の深さがあると書いたら過大評価になるだろう。しかし、時に迂回し、時に茶々を入れ、時にへたり込み、時に途方に暮れながら、「21世紀はリスクの世紀だ」といった鋭い言葉を放つ本書の文章は、東日本大震災後の緊迫した状況下に著者が誠実に向き合った結果なのだと思う。

 「正義の反対は悪なんかじゃない。正義の反対はまた別の正義なんだ」という名言があるが(野原ひろしの言葉とされることが多いが、本当に『クレヨンしんちゃん』にそういう台詞があったのか?)、その緊迫した状況において求められる「正義」と、その「正義」が声高に言い立てられることによる窮屈さに対する冷却装置の役割を、連載を読んでたワタシ自身に果たしていたのは確かなのを思い起こしている。

 ただ本書の終章がスティーブ・ジョブズについての文章というのは、時事性を強調したかったのだろうが、本書の趣旨からしておかしいと思う。


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