yomoyomoの読書記録

2011年02月03日

小谷野敦『現代文学論争』(筑摩選書) このエントリーを含むブックマーク

表紙

 いつもブログを読ませてもらっているが、著者の本をちゃんと買って読むのは実は初めてだった。それが本書だったのは、個人的な事情による。

 昨年秋にラジオ番組の収録を見学したとき、津田大介がワタシの文章の特色を(正確な表現は忘れたが)性格の陰険さが滲み出た攻撃的な文章と評していて、未だにそう思われているのかといささか暗い気持ちになったのがある。

 津田さんに文句を言いたいのではない。事実、彼が存在を認知した頃のワタシの文章は辛辣で攻撃的だったし、争いを恐れてなかった。しかし、自分の文章で出来の良いものは他人への賛辞であることに気付いてからは、できるだけ他人の仕事を格調高く誉めることに時間を割くよう心がけてきた。これにはもう一つ理由があり、攻撃的な文章が原因で少なからぬ人に嫌われ憎まれ、それ自体は自業自得なので仕方がないとして、ワタシの仕事まで当然言及を受けるべきところで露骨に無視されることが続き、訳者の不徳により訳書に迷惑をかけることを申し訳なく思ったのもある。しかし、一度ついた強いイメージを払拭するのは難しく、まれに厳しく他者を批判する文章を書くと「yomoyomo節炸裂や!」と喜ばれて頭を抱えてしまう。

 長々と個人の事情を書いたが、文学論争をまとめた本書を読み、本格的な論争の作法なり、そこで得られる成果を学んでおこうと思った次第である。

 今文学論争を語るのに著者は最適の存在だろう。著者も認める通り、彼自身論争的な存在であるし、本書にしても「どちらにも利がある」のようなぬるいことは書かず、個人崇拝を排し、政治性抜きで文章単位できっぱり断を下している。本書の著者の言葉にうなづくことが多かったし、本題から離れたところではっとさせられる文章もいくつかあった。

 それなら本書を読んで面白かったかというと、必ずしもそうでないところに本書の難しさがある。

 著者はまえがきで、文学論争に場が提供されなくなった現状を嘆く。しかし、こんな論争ばかりではそうなるのも仕方ないのではと本書の半分くらいまで読んで正直思ったほどだ。学者の論争の仕方はいかにも嫌らしいものが多くて読んでて楽しくないし、噛みあわない論争の紹介の後に、対象となる作品が元々詰まらないのだから盛り上がりようがない、という感じで著者に書かれてはしごを外された気分になったりもした(倉橋由美子の初期作品、島田雅彦『優しいサヨクのための嬉遊曲』など)。臼井吉見『事故のてんまつ』や永山則夫文藝家協会入会論争といった論争というより事件に近い事例のほうが火種と論点がはっきりして読後感がよかったくらいである。

 本書でもっとも優れているのは、第14章「湾岸戦争から『敗戦後論』論争」と第15章「宮澤賢治論争」の流れだろう。一方で筒井康隆や「純文学」論争の章など、著者自身が論争に関わるところの記述には首を傾げたくなるところもあった。

 あと著者は、『事故のてんまつ』事件の章の最後に「私はいずれ、この事件を含めた、タブーなき川端康成伝を書いて、決着をつけるつもりである」と決然と書いているが、それに挑戦しようという気概があるのは著者だけかもしれない。是非やり遂げていただきたい。


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