yomoyomoの読書記録

2015年05月10日

雨宮まみ『東京を生きる』(大和書房) このエントリーを含むブックマーク

表紙

 著者の初めての単著『女子をこじらせて』の読書記録を書いてから3年以上経つ。以降雨宮さんのウェブ連載は大体読んでいるが、その中でも「東京」の連載は一番好きだった。本書はその書籍化である。

 「東京」連載を読みながら、雨宮さんは小説を書くべきだと何度か書いたことがあるし、著者当人にも直接伝えたことがある。それだけ「東京」連載が広がりのある良いものであるというのを伝えたかったのだが、これは立場を逆にしてみるだけでも簡単に分かることだが、端的に言って大きなお世話である。今思い出して汗顔の至りとはまさにこのことだ。

 本書の帯には「著者初の私小説エッセイ!」とあるが、書き手としての誠実さを保ちながら、本書の文章は静謐さと不穏さを湛えていて、『女子をこじらせて』のときよりも良い意味でたくらみを感じるところが好きである。

 「東京」が連載されていた頃、その新作を楽しみにしながら、同時にそれを読むときに少しひやりとする緊張感が常にあった。それは上に書いた、この連載の文章に感じる不穏さのためである。本書の「はじめに」に、著者が九州で過ごした年月を、東京で過ごした年月が超えたことについて触れられている。これは偶然だが、ワタシも生まれ故郷で過ごした年月を、福岡で過ごした年月が今年越えたところである。

 福岡は、著者がかつて憎み、捨てたと思った土地である。本書の言葉は、いずれ出て行くことになると思い内心距離を置きながらも、そこに安住しているワタシに図らずもときに牙をむく。

 福岡に来た東京の人はみんな驚く。「すごいお洒落な街だね」と。

 そして東京に来た福岡の人もみんな驚く。「東京って、汚いし意外とださいんだね」と。

 当たり前だ。東京のお洒落なセレクトショップばっかり持ってきたのが福岡だからだ。東京の中で、センスがいいと認められたものは福岡にもだいたいやってくる。しかも東京よりも売り切れる速度が遅いから、ものが豊富にある。考えようによってはこんなにいい街はない。

 そして著者は、「でも、私はそこにいるのがつらい」と続ける。それが著者であり、ワタシとはバックボーンも属性も現状も必ずしも重なるところばかりではないが、その文章が持つ痛みと、その生を輝かせようとするときとしてマゾヒスティックなまでのむきだしさゆえに目を離すことができない。

 三十五歳を過ぎても、素敵な女性だと思ってほしい、同情ではなく賞賛が欲しい。失望ではなく欲情が欲しい。もっともお金を使うべきなのは、そのために身につけるものだと、思っている。

 ワタシが「東京」連載を読んでいて常に連想していたのは、連載のトップにある東京の夜景だった。必ずしも夜だけが文章の舞台になるわけでないのだから不思議な気もするが、それが東京から連想されるものだからだろうか。

 やはりそれには本書の文章の静謐さもあるだろう。本書における観察眼は、単なる他者の品定めや著者との距離感の測定などだけに奉仕されることはなく、最終的には著者の倫理性に還元されている……と書くと難しそうだが、簡単に言えば、もがきながら前に進む著者の文章が好きだということだ。


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