yomoyomoの読書記録

2011年05月19日

池田純一『ウェブ×ソーシャル×アメリカ――〈全球時代〉の構想力』(講談社現代新書) このエントリーを含むブックマーク

表紙

 著者の池田純一さんの存在を知ったのはいつだったか。確か「iPadを待ちながら:我々はどれくらい自由であるべきなのか」を書く少し前だったと思う。以来その見識を参考にさせてもらっているが、著書が出たので買ってみた。本書については江渡浩一郎さんが最新号の『新潮』に書評を書いているそうなのでそちらも読んでみるつもり。

 書名だけ見て、またアメリカのソーシャルネットサービスをしたり顔で解説する新書かと思われる人がいるかもしれないが、そんなちょろい本ではまったくない。

 本書は、Google と Apple がウェブにおける二強であり、そのウェブは成熟という名の曲がり角にあるという現状認識(クリス・アンダーソンの "The Web is dead" 論など)に始まり、アメリカの東海岸と西海岸、現在から90年代から19世紀までと時空を飛びながら、書名に掲げるウェブ、ソーシャル、そして何よりアメリカについて論じる野心的な本である。ワタシのような基礎教養の乏しい人間には、アメリカについて正面切って論じる部分は完全に理解できたわけでないので、これから思い出しては本書を読み直すことになるだろう。

 パソコンやインターネット周りの文化について、我々が自明のように、しかし何となくもっているイメージがいろいろあるわけだが、本書はそうしたイメージが形作られる歴史的経緯を説き起こすところからやっていてお手軽な情報の提供に留まらない。特にシリコンバレーはカウンターカルチャーが作った、PC/ウェブ文化はカウンターカルチャーに育まれた、という話はよく言われるほど自明ではないというのが興味深かった。

 本書はまず、『Whole Earth Catalog』で知られるスチュワート・ブランドをキーマンに据えている。ワタシも以前から彼の仕事に興味を持っていてぼちぼち調べていたが、著者は彼のアジテーションに惑わされることなく彼の一貫性を描き出している。有名な1968年のダグラス・エンゲルバートによるコンピュータシステムのデモなど、スチュワート・ブランドは重要な場面にいろいろ居合わせていて、その特殊能力にも驚かされる。彼は本当に面白い人だ。

『Whole Earth Catalog』が、後に WEC の編集者だったケヴィン・ケリーやハワード・ラインゴールドも関わる Wired あたりに継承される話はワタシも書いたことがあるが、Wired は出発点にリバタリアニズムがあったため、コミューン志向よりマーケット志向が強かったことなど、時代性を踏まえた微妙な捻りまでちゃんと押さえているのは勉強になった。

 一般的な読者は、Google や Facebook や Twitter といった現在のネット業界におけるの主要プレイヤーについての分析に興味あるところだろうが、本書の記述は多角的でそういうところから振ってくるかと思う話もいくつかあって楽しかった。

 ソーシャルネットワークの存在が前景化する2010年代は、Appleが依拠したカウンターカルチャー性(人々の解放)の追求でもなく、Googleが一般化した市場交換性(ウェブで完結した交換=売買)の実施でもなく、Facebookに代表されるソーシャル・ネットワークが用意しようとするデモクラシー(平等社会)のウェブでの配備が鍵を握る。(299ページ)

 あとグローバル化、というのは今では誰でも言うが、ウェブビジネスにおけるその必然性も本書の文脈で説かれている。これからはトマス・フリードマンの "The World is Flat" ではなく "The World is Round(地球は丸い)" と捉えるほうがよいという指摘ははっとした。それが本書の副題になっている「全球時代」ということで、スチュワート・ブランドの視座の実現とも言える。

 このように非常に刺激的だった本書だが、細かいところで言葉の用法で気になるところがあった。例えば66ページに「このオープンソースという環境があったからこそ、90年代に入ってLinuxが開発されることができた」という文があるが、「オープンソース」という用語が1998年にフリーソフトウェアのマーケティング用の宣伝用語として作られたものであることを考えると少しヘンで、その少し前に折角スティーヴン・レヴィの『ハッカーズ』に言及しているのだから、リチャード・ストールマンの仕事に触れた上で「フリーソフトウェア」と書いてほしかった。あと104ページに「...実際にベビーブーマーはアメリカ社会に戻り、中には一定の社会的成功を収める人たちも出てきた。”Bobo(ボボ)”つまりボヘミアン・ブルジョアと呼ばれる人たちだ」とあるが、この Bobo という言葉は、ワタシが知る限りデヴィッド・ブルックスが2000年に著した Bobos in Paradise(邦訳は『アメリカ新上流階級 ボボズ―ニューリッチたちの優雅な生き方』)において発明した用語なはずで、ベビーブーマー世代、しかも70年代に入って「アメリカ社会に戻」るということはその前期に属すると思われる人たちに当てはめるのは少し違和感があった。

 この二点とも著者の言いたいことは分かるし、実際読者に明確に伝わると思う。それを気にするワタシが細かいだけで、これで本書の価値が下がるものでないことは明記しておく。


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