シグマはどこへ消えた?


 手元に一冊の古本がある。

 タイトルは「マンガ ソフトウェア革命」、1987年10月31日にコロナ社から発行された初版第一刷である…などと情報を小出しにするのは止めよう。本書の副題は「Σプロジェクトの全貌」、監修が IPA(情報処理振興事業協会 シグマシステム開発本部)、これでどうだろう。

 まだ何のことか分からない? ということはあなたはΣプロジェクトのことをご存知ないのですね。実は僕も詳しくは知らなかった。時折なにかの拍子に名前を聞くことはあったが、それについて詳しく説明してくれる人はいなかった。僕が知っていたのは、藤原博文さんが「(コ)業界のオキテ」で書かれた文章の導入レベルである。つまり、それが1980年代半ばに産業構造審議会から出された将来ソフトウェア技術者が大量に不足するというソフトウェア・クライシス予測を受けて、通産省(現経済産業省)が立ち上げた国家プロジェクトであるということ、そして5年の年月と250億円の予算を費やし、何の成果もあげられなかった、ということだけだ。

 それだけのリソースを費やした国家プロジェクトなのだから、関連情報がインターネットに転がってそうなものなのだが、それがほぼ皆無に近い状態で、関連書籍もとっくに絶版状態である。早い話、「Σ計画の総決算--250億円と5年をかけた国家プロジェクトの失敗」という特集記事を組んだ日経コンピュータのような例外を除けば、この業界において、「Σ」「シグマ」という言葉は、禁句禁忌事項と化しているのだ。


 その程度の認識だった僕がΣプロジェクトに関する文章を書こうと思ったのは、「プロジェクト×(ペケ) ー失敗者たちー」という面白いページを読んだのがきっかけである。実を言うと、この文章のタイトルを「プロジェクトΣ ―失敗者たち―」にしたくてたまらなかったのだが、それでは単なるパクリだろ、と地団太踏みながら思いとどまったことを正直に記し、契機を与えてくださった上記ページの作者である水天堂さんに感謝の意を表したい。

 さて、そういった流れがあって漠然と文章の構想について考えながら BOOK OFF をうろついていたところ、件の「マンガ ソフトウェア革命」を発見し、運命を感じてしまい(笑)、早速購入させてもらった。

 この「マンガ ソフトウェア革命」(以下「革命」)は、山野証券システム開発部長である松原龍三郎(47)が、シアトル郊外にある米国屈指のソフトウェア会社であるマイクロミラクル社(んがぐぐ…)を訪問するところから始まる。松原は山野証券の次期情報システムの構築にあたり、日本よりもソフトウェア産業が進んだアメリカを視察していたわけだが、金融の情報化、国際化を実感し、また日本における自社一社による丸抱えのソフト開発の限界を痛感し、「ユーザ、メーカ、ソフトハウスの頭脳たちが総力を結集して、知恵を出し合う場があれば(p.37)」という認識に達したところで、Σ計画ってのがあったじゃーん…とΣ計画が紹介されるという案配である。

 Σとは、産官学の英知の結集という意味をこめてつけられた名称だったのだ。


 前述のソフトウェア技術者の不足(1990年に60万人、というのがよく引き合いに出されるが、「革命」28ページの資料によると、1990年には25万人、2000年には97万人の不足となっている)、バックログに代表される非効率なソフト開発による「ソフトウェア危機」に対峙するため、1985年にΣ計画が立ち上げられた。

 今「革命」を読むと、計画が扱う分野が多岐に渡っていて、その最後には AI 研究まで持ち出す大風呂敷状態で、如何にも一昔前の「国家プロジェクト」然としていて鼻を鳴らしたくなるところもあるが、狙いそのものはそれほどヒドイものではなかったと思う。垂直型システムの次に来る分散処理システムとしての UNIX ワークステーションという選択、またそれにともなうネットワーク化という考え方も。

 それならどうしてΣ計画は失敗したのか? 後から岡目八目でいくらでも理由をあげつらうことはできるだろう。この文章でも紹介するが、リンクされた文章にそれぞれ説得力のある根拠が書かれている。

 まず責められるべきは、やはり通産省だろう(実際にΣ計画を推進したのは、その外郭団体である情報処理振興事業協会(IPA))。1980年代初期に推進した VLSI プロジェクトが成功したため、通産省自体かなり調子をこいていたようで、Σ計画の後も第五世代コンピュータなどで派手な失敗を喫している。


 通産省の過ちについては、元から思い違いしていたところと、構想自体はよかったのにそれを変質させてしまったところの二通りがあるように思う。

 前者は、Σプロジェクトがプログラム開発を「製造」と呼んでいたらしいという話にも現れていることだが、結局はソフトウェア開発というものを、製造業的にしか捉えることしかできなかったところだ。藤原博文さんも藤本裕之さんも書いていることだが、コンピュータがこれ以上進歩しない、というとんでもない前提があったというのだから呆れてしまう。

 後者については、シグマシステム技術委員会委員も務めた SRA の岸田孝一さんのインタビュー記事に詳しいが、当初岸田さんが構想した草の根主導、ボトムアップ型の「ソフトウェアの開発者・研究者が自由に情報やツールを交換できるような、全国的な通信ネットワークの構築」は、通産省と既に深く結びついていたメインフレーム企業によって変節させられてしまう。それは彼らの(BSD でなく)System V ベースのワークステーションへの固執に始まり、自分たちの「すぐれた技術」を「脆弱なソフトハウス」に移転してやるぐらいに考えた連中の見当違いと露骨な利益誘導は、ΣWS という見事に使い物にならないシステムに結実した。藤原博文さんの文章によれば、標準的なコンピュータと100倍ものプログラムの実装速度差があったというのだから、話半分どころか話十分の一に聞いても相当なものだ。

 せっかく日本主導で行われたプロジェクトであり、事業内容の大きな柱の一つであったにも関わらず、シグマ OS が日本語処理に貢献したという話も聞いたことはない。その罪は重い。


 これは余談であるが、委員会の名簿を見ると、前述の岸田さんや石田晴久、故大川功といった著名人に加え、NEC、富士通、三菱、松下、東芝、沖電気など日本を代表するメーカが横並び的に委員を出しているが、ソニーの名前は出てこない(「革命」全体でも)。ソニーは、OS として 4.2BSD を採用した NEWS ワークステーションを1987年1月に発売し、独自の路線をとっていた。その選択が至極常識的だったのは今となっては明らかなのだが、当時Σプロジェクトや通産省から圧力がかかったという話を聞いたことがある。本当のところはどうだったのだろう(後記:渡邊克宏さんにより公開された歴史的コンピュータとソフトウェアプロジェクトに関する昔話(社外公開版)を読むと、そのあたりの事情が良くわかります。とても貴重な話が満載です)。

 ただしソニーにしても NEWS の開発は戦略的なものではなく、現在は AIBO の父、もしくはオカルト重役天下伺朗として知られる土井利忠さんが主導した社内ベンチャーとしての意味合いが強かった。

 更に余談であるが、PS2 Linux もいいけど、NEWS OS のソースコードをオープンソースライセンスの下で公開するというのはどうだろう。これは BSD magazine の対談で増田佳泰さんが言っていたことであるが、もはや商売的なうまみはなくなっているだろうし、それほど無茶な話でもないように思うのだけど。またそうでなくても、独占ソフトウェアも一定期間後にオープンソース化するというのが一般的になれば、ソフトウェア全体の質向上につながると思うのだが。確か IBM がそうした方針にしたんじゃなかったんだっけ?


 「革命」は1987年の秋に出版されたものなので、岸田さんの言う「変節」後の状況をモロに反映していて、技術志向、研究開発の色彩は完全に排除され、即物的な開発生産性向上の見込みばかりが大手を振っている。

 そのくせ「革命」では「Σシステムはメインフレーマーを軽視している」と主張するメインフレーム会社の人間を登場させているのだが、これを脂ぎったハゲオヤジでなく血気盛んな若手技術者である三田電機技術研究所の伊勢香織(26)に代弁させているのが何とも狡猾である。しかも、その彼女とシグマシステム開発本部員である元木誠(28)とのロマンスも「革命」には描かれていて不愉快なことこの上なし。実は、これは通産省とメインフレーマーとの癒着を暗示しているのでは…などと書いていて、何か虚しくなってしまった日曜日の昼下がり(とほほ)。

 Σ計画の変節は、これの重要な柱であったはずのネットワーク関係にも言える。パソコンの OS が Windows 3.1 以前であり(当然 TCP/IP スタックは標準装備されてない)、JUNET が既に誕生し(1984年)、電気通信事業法の施行による「通信の自由化」(1985年)は行われていたものの、アメリカでもインターネット黎明期だった当時のネットワーク状況からすれば仕方なかった部分もあっただろうが、東京一極集中を打破するために、全国的なネットワーク化を図るはずのΣ計画は、真の分散環境の構築にはまったく寄与せず、結局中央集権型でしかないシグマセンターという半端物しか生み出さなかった。しかもそれが通産省の天下り先だったというのだからどうしようもない。

 悪名高いインパクや、基本的には手段に過ぎない IT の整備が目的と化した e-Japan 構想とやらを見ても分かる通り、結局日本の官僚の発想は箱モノ志向、土建屋体質でしかないということか。


 このようにして通産省をどこまでも叩くことができそうなのだが、それはあまり生産的ではないように思う。通産省はどうしようもなかった、それはその通りなのだろうが、いろんな資料にあたっていると、それだけではないように思えてくる。

 つまり、国家プロジェクトにたかった民間企業の罪もかなり重いのではないか、ということだ。それは藤本裕之さんの文章に活写される「では通産省のセンセイもお帰りになりましたので、われわれはお金になるビジネスの話をいたしましょう」の一声を合図に、国から如何に予算をぶんどるかということに目を輝かせるハードウェアメーカーに代表される体質だが、これでは日本に根強く残るソフトウェア軽視が払拭されないわけだ。

 そして、藤原博文さんの「ハッカー支援事業を国が始めるというので野次馬をしてきた、しかし」を読むと、その民間企業の卑しさは現在も健在なようで情けなくなる。せっかく IPA もΣ計画、第五世代コンピュータを「失敗」と率直に認め(まあ、それ以外に評価のしようがないのだが)、その反省を踏まえた上で事業を興そうとしているのに、民間の方はあいも変わらず官僚を如何にだまくらかして予算(税金)をふんだくるかということにしか興味がない様子。これではダメだ。


 そこまで IPA が折込済みだったかは分からないが、少なくとも予算をおさえて一段落な企業を相手にする轍はもう踏みたくないという姿勢は明らかで、そうした意味で昨年始まった未踏ソフトウェア創造事業の、優秀な個人プログラマーを対象とする(正確には、個人又は個人からなるプロジェクト)ところは評価できる。12名選ばれたプロジェクトマネージャーが対象となる分野を指定し、彼らが申請されたプロジェクトを審査するという仕組みも必然的にお役所と民間の持たれあいの構図を排することになっている。未踏ソフトウェア創造事業を「Σ計画の個人ヴァージョン」などと言って切って捨てたつもりでいい気になっている半可通は、自分たちの言説が安直な官僚叩きと同類に堕していることに気付いているのだろうか。

 もちろんこれがうまくいくという保証はないし、第一その成果がどのように日本のソフトウェア産業にフィードバックされていくかよく見えない。また IPA にしても、大分マシになったとは言え、相変わらずしょうもないところは残っている。それは前述の藤原さんの文章にも具体的に述べられているのでここには繰り返さない。

 Internet Week '98 のときに山本和彦さんが通産省の役人の悪口を激しく語っておられたが、その二年後の Internet Week における某セミナーで東井芳隆氏(当時、通産省のセキュリティ政策室長だった)の講演を聞いたり、IPA の最近の暗号技術の評価事業を見たりすると、全体的に良い方向に変っていると思うのだけど、事情を知る人からすればまだまだなのかな(注釈:山根信二さんから教えていただいたのだが、暗号輸出規制に関しては通産省でも IPA やセキュリティ政策室ではなく、貿易局の担当になるそうである)。


 さて、Σ計画の失敗から十年以上経った。Σ計画の予測からすれば、昨年は97万人ものソフトウェア技術者が不足していたはずだったが、そんなことはなかった。その回避にはΣ計画の功績が大きかった…わけはもちろんまったくなくて、コンピュータとネットワークの当時の予測を遥かに超えた進化、ソフトウェア産業のグローバル化(インドなどの台頭)が要因として挙げられるだろう。

 しかし、Σ計画が変革するはずだった、ソフトウェア業界の体質はどれだけ変わっただろう。もちろん当時より開発環境は整備されただろう。が、日経エレクトロニクス2001年5月7日号の特集「ケータイ・ソフト開発 人海戦術の破綻」を読んでも、こうした突端の部分のソフト開発が、結局昔ながらの人海戦術頼りで、製造工程、手法にも定番の問題が巣食っているようだし、それとは少し位相は違うが、「「このままでは限界」と8割が回答〜ITプロ1600人のストレス調査から」を読んでも、根本のところで問題は解決しておらず、技術革新(?)のスピードが加速し、競争がグローバル化した分状況は厳しくなっているようにすら思えてくる。


 もちろん当時にはなかった選択肢も出てきている。少なくとも企業におけるオープンソースの各種レベルでの導入というのは、Linux の流行り廃りとは関係なしに取り組まざるを得ない大きな潮流にまでなったし、開発手法としての eXtreme Programming の導入が、ブレイクスルー足り得るかもしれない。

 そうした新しい動きの導入も重要なのだろうが、ソフトウェア産業と国家との関わり、ソフトウェア開発工程の効率化、ソフトウェア開発者の地位などが根本のところであまり進展がないとするなら、21世紀に生きる我々も、そうΣ計画の失敗を過去の話だと嘲笑してばかりもいられないはずだ。おりしも「失敗学」を題名に冠した書籍がいくつもでている。僕はそれらをまだ読んだことがないので知らないのだが、Σ計画のことも案外そうした書籍の中で分析の対象になっていて、僕が文章を書くまでもないのかもしれない。少なくとも僕は、「マンガ ソフトウェア革命」を買った以上、何かの役に立てたかった。

 それもこの駄文を書いたことで一応元は取ったように思うが、正直言うとこの本が将来高値で買われることもあるのでは、と安直に期待したところもあった。しかし、よく考えればこんなものに価値を見出す好事家などいないだろうね。BOOK OFF では300円で売ってあったのだが(定価は1200円)、やはり古本市場価格もそんなもんなのだろうか。それならもう必要はないので、欲しい方にあげようかとも考えている。それでも誰も欲しがらない可能性も濃厚だが。

 いや、正直な話、この本かび臭くてかなわんのだよ。


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初出公開: 2001年06月05日、 最終更新日: 2002年09月03日
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