yomoyomoの読書記録

2015年10月04日

近藤正高『タモリと戦後ニッポン』(講談社現代新書) このエントリーを含むブックマーク

表紙

 Kindle 版も出ているが、ワタシは紙の本を読んだ。

 本書は cakes での連載「タモリの地図――森田一義と歩く戦後史」を大幅に加筆修正したものである。

 本書の著者である近藤正高さんは、cakes では「一故人」の連載もあわせて、ワタシが現在もっともその文章を楽しみにしている書き手の一人である。もちろんタモリ連載も毎回欠かさず読んでおり、本書もだいたい既読なわけだが、一冊の本を通して読む楽しみを満喫できた。連載を読んでない人はもちろん、読んでいる人にも文句なしにお勧めできる本である。

 ワタシは以前「集合知との競争、もしくはもっとも真摯な愛のために」という文章で、「Google、Wikipedia、Yahoo!知恵袋時代に本を書くということ」について少し書いたことがあるが、近藤さんも膨大な資料をあたり、それを十全に取り込みながらも、関係者の語りにおいて生じる齟齬について冷静に判断をくだしながら話を勧める手際がよい。少し話はズレるが、本書には Wikipedia や YouTube がもたらす行きすぎた伝説化について言及があるのも示唆的である。

 近藤さんの単著は本書が三冊目になるはずだが、前二冊はワタシは読んだことがない。それはその二冊とも「鉄道」に関するもので、ワタシ自身鉄オタでないからなのだが、実は何かで近藤さん自身いわゆる鉄オタではまったくないという話を何かで読むか聞くかして驚いたことがある(間違いだったらすいません)。

 その著者の特異性は本書にも活かされており、お笑いに一家言ある! 的な暑苦しさとは無縁である。また著者の資質が、結果的にタモリ本では後発になったことを逆に強みに変えているところがある。

 ワタシは以前から「面白いのは核心の周辺」をモットーに文章を書いているのだが、本書もタモリの人生を辿りながらも、タモリの内面に迫ったり、そのお笑いを論じることを第一にせず、書名の通り、まさに終戦からまもなくして生まれたタモリを通して戦後ニッポンの歩みを考察する本になっている。

 そうした意味で本書は、(「集合知との競争、もしくはもっとも真摯な愛のために」でも引き合いに出した)速水健朗さんの『ラーメンと愛国』に近い本なのかもしれない。ただ『ラーメンと愛国』は著者のラーメンに対する冷めた視線を感じるのに対し、本書も著者はタモリについて熱い語りなどまったくしないのだが(90年代前半に高田文夫によって書かれたタモリ批判の文章について、「高校時代にリアルタイムで読んで非常に共感した記憶がある」と書いているくらいで)、タモリという本来あるべき「核心」の周辺、つまり戦後ニッポンの歩みというテーマ自体そうだし、タモリの人生に要所で関わり影響を与え(合っ)た人たちについて、膨大な資料をバックに堂々押し切った本になっている。本当にタモリは一種の鏡なんだね。

 あと本書を読むと、タモリと面会を望んだのに適わなかった寺山修司や、レコーディングを行ったのにお蔵入りになった(その音源は今どこに?)大滝詠一といった人たちとの微妙なすれ違いを惜しく思ったりもした。


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