yomoyomoの読書記録

2015年08月30日

大崎善生『赦す人: 団鬼六伝』(新潮文庫) このエントリーを含むブックマーク

表紙

 文庫化されたところで遅ればせながら本書のことを知り、これ幸いと買って読んだ。Kindle 版もあるが、(今のところ)文庫本のほうが安い。

 本書はおそらくは日本で最も有名なSM作家である団鬼六の評伝だが、ワタシ自身は団鬼六のSM小説はほとんど読んだことがない。

 ならばなぜ彼の評伝を買ったのか?

 それは、彼の将棋界とのかかわりにある。本書の著者も『聖の青春』『将棋の子』といった将棋を題材とするノンフィクションで作家になった人だが、ワタシは将棋雑誌に掲載された文章を通じて団鬼六の文章に接してきたのだ。

 本書は、団鬼六が老境に入りながら、御殿のような自宅を追われた後も二億円の借金を抱え、借家に逃げのびながら、「アホか」と何度も悪態をつく場面から始まる。

 団鬼六が老後の楽しみのつもりで将棋雑誌の経営を引き受け、その結果経済的苦境に陥った話は、まさに当時の彼自身の文章を読んで知っていた。が、そこまで多額の借金を抱えていたとは思わなかった。復活作となった『真剣師小池重明』は、そうした危機的状況の中で書かれていたのだ。

 ワタシは上述の通り、団鬼六という人が残した膨大な文章のごく一部しか知らないのだが、それでもその当時の文章を読んでも彼の窮状を想像しなかったのは、彼の文章にまったく貧乏くささがなかったからだ。彼が多額の借財を抱えるのは、このときが最初でないのだが、彼の生涯を通じた(本書のタイトルにつながる)鷹揚さは変わることがなかった。

 著者も将棋を通じて団鬼六に接した人だが、評伝としてそちら側だけに偏ることはなく、もちろんSM作家としての彼を含む生涯を辿るもので、とにかく団鬼六という人に何かしら興味をもった人が読んで不満はない本になっている。

 大崎善生は、団鬼六の評伝を書くにあたり、元々信頼関係があったため、団鬼六は全面的に協力的で、取材旅行に何度も同行するほどなのだが、自伝的エッセイが多い鬼六の文章を鵜呑みにすることはなく、自己演出をしがちな作家の生涯と彼の文学を辿っている。それにしても、彼の親世代の話で、直木三十五、久米正雄、国木田虎雄(国木田独歩の長男)といった名の知れた文士の名前がいくつも出てくるのには、そんな縁があったのかと驚いた。

 団鬼六にとってSM小説とは切なる希望の言葉なのだ。欲望でなく希望、そこにもしかしたら他の作家とは違う鬼六文学の持つ、潔癖な雰囲気の秘密があるのではないだろうか。

 団鬼六が中学の代用教員をしながら、SM雑誌に乞われて代表作『花と蛇』を書いていた話はよく知られるが、当時鬼六先生は三枝子夫人にはそのことはバレてないと当然のように考えていた。しかし、夫人にもその妹にもバレバレだったこと、夫人は掲載雑誌から子供のおもちゃをせしめていたことを取材旅行で知り、つまり騙していたつもりが騙されていたのにひどくうろたえる場面があるが、だいたいそれをバレずにやれていると思うほうがおかしくて、鬼六先生のそうした少し抜けたところは本書におおらかな笑いを加えている。

 騙し騙されというと、三枝子夫人との離婚にまつわる話もそうである。かつて中学教師であり、(後に後妻となる)愛人宅に乗り込んで「不倫をしてはいけません」とたしなめた生真面目でプライドが高い三枝子夫人がなぜ不貞を犯したのか。「愛人スペアタイヤ説」なるものを唱え、自分が愛人を切らしたことがないくせに、妻の不貞を知るや妻と間男を追い込みにかかるところなど、男の身勝手さとしか言いようがないが、もちろん好き勝手する夫への意趣返しの側面もあったに違いないが、夫人は鬼六に純文学を書いてほしかったのではないかという著者の見立ては興味深い。

 そして、その願いは、その事件を題材とする『不貞の季節』で達せられたと考えると、夫婦というものの不可解さと不思議を考えてしまう。

 本書を読んで面白く思ったのは、著者は昭和一桁生まれの団鬼六に同年代だった父親の影を重ねているところである。私事になるが、先日の帰省時、父親と二人で外で飲む機会があり、読んだばかりの本書のことを話題に出した。それにはもちろんここには書けない理由があるのだが、鬼六先生がその最期にいたっても、まったく遊び足りない、何も悟れなかったとぼやいていたことを思い出し、父親の心中を想像し、自分は何と虫のよいことを考えているのだと恥じ入った。

 あと本書を読み、河口俊彦老師の文章で鬼六邸で開かれた忘年会で立川談志がお題落語を披露する話を読んだのを思い出し、老師から見た団鬼六というのも伺っておくべきだったとまた一つ後悔した。


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